■ [嬉しい]異学年
本日は上越の地元の小学校の校内研修に参加しました。その学校は2学期から学校として異学年を取り組まれ始めました。学校として異学年の『学び合い』を取り組むことの凄さは2点です。それはコミュニティーの創生と教師の『学び合い』です。
高校教師であるKさんは、勤めているN県の高校で学力向上をすることの馬鹿馬鹿しさをよく私に愚痴ります。つまり、今のままで学力を向上すれば、生徒は都会の大学に進学し、都会で就職します。つまり、県の予算を費やして、優秀な人材を県外に放出することになります。県としては矛盾しています。Kさんの指摘は正鵠を得ていると思います。
本日の小学校は1学年1学級の学校です。このような地域の場合、幼稚園から小学校6年まで、全く同じメンバーで学年を構成します。そのため、固定的な序列が形成されています。序列低位の子どもにとって、地元はいやすい場所とは限りません。私が上越の地元のある人と話したとき「あいつは俺が言えば逆らえない」とちらりと言ったときがあります。また、地元の年長者に逆らえない飲み会の話を聞いたことがあります。そういうコミュニティでは、面と向かって逆らうことはありませんが、機会があれば出て行きます。過疎になる地域の人がその地域の「人情」を言っても過疎が進行するのは、「人情」をいう人にとっては都合の良いコミュニティであっても、出る人にとっては「人情」とは言えないのかもしれません。
異学年の学習は固定的な序列を打破します。今まで学年では高位な子であっても、高学年と交わるときは偉ぶれません。また、学年が低位な子であっても、低学年との交わりの中では光ることが出来ます。それを教師が見取り、価値づけることによって今までとは違った関係が生まれます。もし小学校として異学年に取り組み、それが継続したとき、ある子どもは前後に5歳の人たちと関係を結びます。まさに地域のコミュニティが生まれるのです。『学び合い』が成立したら、給料が10万円やすくても地元で仕事を見いだしたい、いや、地元に仕事を生み出したいと願う子どもが生まれます。凄いことです。
もう一つ、学校で取り組む異学年の『学び合い』の凄さは教師の『学び合い』です。教師であれば、授業で悩み、助言を受けたいと思うのが普通でしょう。しかし、自分が悩んでいる状況を説明するのは大変です。そして、人から助言を受けたとしても、その助言の意味を理解することは大変です。さらに、その助言は、自分が悩んでいる、その時であって欲しい。これは子どもと同じです。しかし、一斉指導の一人一人の教師は一人で立ち向かっています。TTであったとしても、結局は一人一人の教師は別々です。ところが『学び合い』の異学年はそれとは全く別です。自分が悩んでいる「その時」、「その場」を複数の教師が共有しています。「その時」、「その場」で相談し、「その時」、「その場」で助言を得て、「その時」、「その場」で直ちにトライすることが出来ます。いや、相談するということもいりません。他の先生方の生の指導を「その時」、「その場」で盗むことが出来るのです。こりゃ凄いことです。先生方はそれをやられていました。
例えば、その学校には若い先生がいます。その先生と中堅の先生が組になって異学年をしました。若い先生はセンスの良い先生で、特に天賦の「声」の良さがあります。中堅の先生は、その年になっても伸びようとする志があります。見ていると、合間合間にゴチャゴチャとその先生方で話している姿があります。決して長々としたものではなく、チョットした会話です。また、子どもたちが『学び合い』をしている脇で、黒板でなにやら書いて相談していました(その姿を校長先生が写真に撮っていました。あははは)。授業後の研修会で、その若い先生は無意識にその中堅の先生を「○○先輩」と呼んでいました。いいな~っと思いました。もちろん、中堅の先生の方も若い先生に見られる位置で授業をするということで「ハリ」を感じられていることはヒシヒシ感じられます。このような関係性が見られます。このような関係性は他の先生方にも明確に見られます。
学校として『学び合い』を取り入れられているので、先生方が自由に見せあいっこしています。おそらく、先生方は『学び合い』をしていないと自分では思っているかもしれませんが、子どもを基本的に信じているので、直ぐに「自習」的な展開を使えます。そして、ふらりと他の先生方の実践を参観しています。小さい学校ですが、全ての先生方がゴチャゴチャと、そして平常の授業と矛盾無く、いや、相乗効果的に『学び合い』を実現しています。
日本を変えると思われる校内研修が上越の小さい小学校で行われています。私は日本の教育を根本的にかえるには教師の共同体が必須要件だと思います。そして、日本人の幸せは地域コミュニティの創生だと思っています。それをびた一文の予算も使わず、分厚い紀要もつくらず実現できるのです。その現場に、S大学のM先生、本学のS先生と一緒に、私と我がゼミの学生が居合わせられる光栄を感じます。
■ [嬉しい]教育実習
本日は二人のゼミ生の教育実習における大研です。一人目の授業を参観して、最初はビックリして、5分後には笑い出しました。理由は・・・
ものすごく、うまいのです。旨いというのは小技のレベルではありません。堂々としており、安心しているからこそ子どものあしらいが旨い、アドリブもいえる。ビックリしました。教員経験5年の先生でも、あれだけのレベルに達していない教師は山ほどです。
二人目の授業を見ました。このゼミ生は実に初々しい学生です。だから、一人目のようにはならないな、と予想していました。が、違いました。5分間の中で、ちゃんと『学び合い』の考え方に根ざした課題設定をして、堂々としており、子どものあしらいが旨い。ビックリしました。
もちろん、本人の努力と才能はあるでしょう。しかし、それだけではなく、去年1年間、徹底的に生の授業を見続けた、それがベースにあると思います。そして、それを元に信頼関係のある学校で、信頼できる先生から指導を受けたためだと思います。
とにもかくにも、日本全国の方に、大いに自慢します。我がゼミ生は、一斉指導においても素晴らしいと思います。