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2008-10-05

[]追伸の追伸の追伸 22:39 追伸の追伸の追伸 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 追伸の追伸の追伸 - 西川純のメモ 追伸の追伸の追伸 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日のメモは、多くの善意の教師の反感をかうであろうことは折り込みづみです。しかし、分かってくれる人がいることを信じて、そして、自分に向けてメモります。

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 過去に何度も書いたことです。我々教師が守るべきは、教え子の前に家族(そして自分)です。教え子は救えたが、家族は崩壊したでは本末転倒です。家族に迷惑がかかる、自分の生命が危うい、そうならば管理職に任せるべきだと思います。制度的には教諭は逃げられますが、管理職は逃げられなくなっています。もちろん、管理職によっては、それを逃げる人もいるでしょう。また、あなたに凄いデメリットがあると脅すでしょう。でも、家族や自分の生命のレベルに至れば、管理職との対決を覚悟すべきです。ちゃんと手続きを踏めば、どんな管理職だって逃げられません。その管理職は、その上の管理職と協議するしかないはずです。

 ただし、この面でも安易にやるべきではないことは当然です。しかし、絶対に家族を守り、自分の命を守ることが第一であることは忘れずに。それを恥ずかしがることはありません。私は家族の犠牲の上に教育をしている人を信じることは出来ません。

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補足します。

 建前上、公立の義務教育には「くび」「切る」はありません。が、本当はそうじゃありません。無いのは「退学」です。

 私は中学校3年間の登校日数が3日の子どもを教えたことがあります。教室から隔離して、別室で生徒指導の先生が対応する事例はありますよね。また、特別支援の学校に進路変更するなんて言うなんてそれです。このように繋がりを断ってしまうしまうことをすれば退学と同じです。

 また、よくあるのは、教師も子どもも「あの子は駄目だと」と了解が成立することも事実上のクビです。この事例でも、徹底した場合、退学に準じるものになる可能性があります。

 上記の切るということで、その子に良いことなんてありません。私の事例も同じです。

 なお、アスペルガーだから駄目だという意味で書いてないことも誤解の無いように明記します。本(「気になる子・・・・」)に書いているように、アスペルガーというのは通称名であって、結局、同じケースの子なんていない。アスペルガーと診断されているが、問題なく集団に入るケースは少なくありません。アスペルガーではないものの、手のかかる子どもはいます。代表的なのは家庭の問題の関係で・・・。(正確に言うと、その子の問題ではなく、「最悪」な親の問題です。私の経験上)

私の主張は、

1.「切る」場合はあり得る。

2.安易に切ると集団は崩壊するが、崩壊しない場合がある。

3.「切る」仕事は管理職の仕事。

4.最も重要なのは、「切る」場合はあるが、切るべきではない、ということです。

[]告白 18:55 告白 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 告白 - 西川純のメモ 告白 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 切る/切らない、ということが一段落したので、告白します。これを前の段階に書くと混乱する方がいると思い避けていました。でも、もういい頃合いだと思います。

 私は高校1年の子ども達を担任し、その3分の1の子どもを1年間で「くびにしました。弁明ですが、あの時にもう一度戻っても他の選択肢があったとは私は思いません。私は最善を尽くしたと思っていました。そして、私は学習指導及び生徒指導に関してスパー教師であるという自負がありました。が、「くび」にしたことは、私にとって澱(おり)のように心に残っています。少なくとも、話術や教材や教師と子どもの人間関係作りなんて、たいしたことはないということは「よ~く」分かりました。その憂さを晴らすため、大学に移ってからは気が狂ったように研究をしました。私のその頃の業績を観ていただければ、グレージーだったと思います。

 十年それを続け、数多くの学会から学会賞を頂きました。しかし、心の澱ははれません。心の澱をはらすため、子どもを徹底的に観る研究を始めました。そして『学び合い』研究にシフトしました。多くの優れた学生さん、現職者と一緒になって驚異的に発展しました。今の私だったら、高校教師だった時代に戻ったら、かなり凄いことが出来ると自信があります。それが、私が勤めた定時制であってもです。そして、いまでは「一人も切るべきではない」を豪語します。多くの人にとっては、かなり生意気な言いぐさでしょう。でも、自信があります。

 が、告白します。『学び合い』研究をしてから、一人の学生を「切り」ました。素人分析ですがアスペルガーに分類されると思っています。私は1年間格闘しました。そして、それ以上に西川ゼミの学生さんは格闘しました。困ったことに(?)私のことが大好きなのです。明らかに、私に「親」を重ねており、甘えるのです。その学生さんは私に「西川ゼミをやめたくない」と泣きながら懇願しました。何度も仕切り直しをしました。しかし、私は管理職として(大学においては教授が管理職です)、その学生を他の研究室にお引き取り願いました。その方法は、高校教師だったとき、ゴタゴタしないで退学するための手法を準用しました。

 私が苦労するぐらいならば「くび」にしません。私が悩んだのは、西川ゼミの学生さんが必死になって「みんな」を目指しているからです。『学び合い』のセオリーから言えば、「勉強の出来ないその子」がいたとしても問題ありません。そして、私の事例でもその面では何とでもなります。『学び合い』のセオリーから言えば、「行動的に問題を起こさないその子」がいたとしても問題ありません。一人一人の子どもが「その子」と距離を置きながら、でも、切らない、という状態を創り上げます。クラス全員の子どもが距離の長短はあったとしても、切らない状態を創り上げるのです。そして、徐々にその間合いを詰めていきます。たいていの場合は、そんなに時間はかかりません。例外はアスペルガーの子です。なぜなら『学び合い』は関わりによって問題を解決しますが、アスペルガーの一部は関わると人を不快にさせたり、暴力をふるう子どもがいるからです。でも、多くの『学び合い』の同志はそれを乗り越えて「みんな」の中に取り込みます。

 私の事例の「その学生」は、どんなに問題を起こし、周りから注意されても懲りません。そして、現職院生さんからかなりこっぴどく注意されても気にならないのです。そして、その直後に他のゼミ生に関わり不快にさせるのです。さらに、変なところで社会の仕組みをよく知っていて悪用します。そのため、西川ゼミのみならず、コース、大学のレベルにまで迷惑をかけるのです。他のゼミ生に嘘をつき、そのゼミ生が迷惑したとしても、そのゼミ生に「なんで嘘ついてはいけないの?」と無邪気に聞く学生です。つまり、ゼミ生が間合いを取ろうとしても、追いかけていって密着し迷惑をかけるのです。そして、ほぼ全員にのべつまくなし、やり続けるのです。

 その当時には、「一人を切る」集団は崩壊すること過程を明らかにしていました。だから、私もゼミ生も最後の最後まで「みんな」を求めました。が、私は「これ以上、無理だ」と判断しました。そして、ゼミ生及びOBの反対を振り切って「切りました」。その判断をしたとき、私は西川ゼミが崩壊することを覚悟しました。しかし、崩壊するより酷い状態になる危険性があったので私は判断しました。

 しかし、私の予想外のことが起こりました。それは西川ゼミは崩壊しなかったのです。しばらくして分かりました。「一人を切る」と集団が崩壊するのは、一人を切る側の子ども集団の中に「次は自分が切られるかも」という疑心暗鬼が起こるからです。実際、「一人を切る」状態の時には、その予備軍がかなりの人数がいるのが状態です。ところが私の事例の場合、ゼミ生がやれるだけのことをやりつくしたという了解がゼミ生全員が共有していたからです。そして、その学生を西川ゼミから「切る」にしても、おそらく西川ゼミに居続けるよりある意味で「相対的」に良い状態に進むであろう条件整備を私がしており、それをゼミ生が了解していたからだと思います。(本質的には、良いことなんて無いですが)

 私は「切り」ました。しかし、「切るべきではない」と頑固に言い続けます。もちろん、切るべき事例もあることを知っています。しかし、その判断が正しいか、それとも安易に妥協して「切った」かを判別する試金石は、その後の集団です。集団が崩壊したとしたら、安易に妥協した証拠です。もし、集団の『学び合い』が高まり、あらゆる面で驚異的な成果を上げ続けたとしたら、それは「切る」判断は正しい。ただし、崩壊の恐ろしさを知っているので、最後の最後まで試すべきではない「禁じ手」です。そして、その判断は教諭の仕事ではなく、管理職の仕事です。