■ [嬉しい]山形の会2
今、打ち上げから帰ってきました。良い会になりました。あらゆる面で期待を超えるものになりました。そのすばらしさは、参加した方々のブログによって書かれると思いますので、私なりのメモを書きたいと思います。
今日の会を企画運営された方から、「私の期待しているよが怖い」と言われました。そして、参加した別の方からも言われます。確かに、今回の会の最初の一歩は、山形で『学び合い』の会を開くことの意義を語り、出来ない理由のないことを説明し、期待したのが最初にきっかけです。それをきっかけとして始まりました。そして、関係された方々はいろいろなご苦労を重ね、それを実現しました。すばらしい会を成功させました。
でも不思議です。私は一介の田舎大学の教師にすぎません。その私が、山形県の先生、また、その他の県に先生方に命令する権力は全くありません。私が「期待しているよ」に、それらの先生方が怖がる理由は全くありません。私がいくら期待しても、それをいくらでも無視できます。
私は定時制高校に勤めました。勉めて直ぐに、驚きと、苦痛を伴って学んだことは、教師は何の権力もない、ということです。子どもが連帯して教師に反抗したならば、教師にはそれを押さえる権力は全くありません。教師が成績で脅かしたとしても、成績なんて屁とも思わなければ脅かす力はありません。教師が留年で脅かしたとしても、子どもが連帯すれば、脅す力は失われます。退学を使って脅かそうとしても、それを強いる力は法的にはありません。私はこれほど教師に権力がないことにビックリしました。そのため、子どもたちに何かを強いる場合、それを納得させる必要があるという子を学びました。従って、ある人に何をすることを勧められるかは、その人が何を実現させたいかに依存します。
私が山形の会を成功させた先生方に影響を与えたとしたら、それは私に権力があるからではありません。それは、その先生方に高い志があるからです。その志を実現するに必要な一つの道を、別の同志が示し、それを例示したにすぎません。従って、その先生方を強いたのは、その先生方ご自身の志です。けっして私の「期待しているよ」ではありません。
本日、山形の先生方は志の形を示しました。それは別な先生方の志を刺激し、その先生方の志が、その先生方を強います。互いに強いるその厳しさは、『学び合い』における子どもたちの厳しさと同じです。そして、それによって関係者全てがより高いレベルに進めるということも、『学び合い』における子どもたちと同じです。
上記の正のフィードバックが急激に進んでいることに驚きます。正直、ついて行くだけでヘトヘトになります。しかし、同時に、ワクワクします。私自身も正のフィードバックの枠組みの中の一員なんだと実感しました。
関係する先生方に感謝します。私も結果を出します。