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2008-10-22

[]泣く 22:03 泣く - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 泣く - 西川純のメモ 泣く - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は感激で泣きます。この前の長野の会でも、今日も。長野の同志の名文句ですが、「『学び合い』では、部活・特活ではなく、毎日の授業で感激して泣けます」です。私なんぞは、毎日の授業で感激した同志の涙で泣けます。

 私は泣けます!同志の涙で、何度でも泣けます!その事例を何度経験しても、泣けます!

 だって、私には自分が直に経験した感激した経験がいっぱいありますから。だから、同志の感激をリアルに実感できるのです。

 だって、だって、私はその同志が大好きだから。大好きな人が幸せになることは幸せだから。

 だって、だって、だって、感激できる人生の方が、出来ない人生のより楽しいもん!

[]教職大学院 19:26 教職大学院 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教職大学院 - 西川純のメモ 教職大学院 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日はプロジェクト科目の中間発表がありました。プロジェクト科目というのは上越教育大学の教職大学院特有の科目です。簡単に言えば、学校に「どっぷりと浸かる」実習です。新たな試みですので、教師はもちろん院生さんたちは手探りで切り開いています。数々の課題は見えますが、「いいな~」と思います。何よりも院生さん達が「いい!とってもいい!」と思いました。

 その後、教員が集まって議論しました。とても良かった!

 意外かもしれませんが、大学で「大学教育」のことを議論する機会は殆どありません。ある場合は、大学人の悪い癖で、理屈ばっかりで、実践が見えません。ところが教職大学院のメンバーは違います。意見の違いがあっても、安心して議論をふっかけられます。それに対して、納得する反論が言われます。勉強になりました。本当に、この職場はいいな~っと思いました。

[]臨界量 09:16 臨界量 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 臨界量 - 西川純のメモ 臨界量 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志が苦労するのを知ると、はらわたが煮えくりかえります。一人一人の先生がみんな善意の教師であり、苦労されていることは知っているのですが、その先生が現状のクラスで子どもに苦痛を強いているのです。それを思うと、考えまいとしても、怒りが沸きます。

 今、日本中には様々な立場の同志がいらっしゃいます。県の教育行政、学校における管理職、指導主事、ベテラン教師、中堅教師、若手教師、そして新採教師。また、教師の卵もいます。そればかりではありません。学校の事務職、子ども、保護者、塾の教師、水泳教室の教師、サッカーチームのコーチ、企業に社長、退職者・・・・、異質な同志がおられます。そして、その方々が、それぞれの立場で実践し、成果を上げているにも関わらず、理解されずに苦労されている「愚痴」を毎日、私は知ることになります。

 それぞれの同志は「あの人さえ・・」と思っています。例えば、ある若手教師の同志は教務主任がネックになっています。ところが別な地域の教務主任の同志は、若手が動かないと悩んでいます。『学び合い』では管理職が決定的ですが、その管理職が最初の起爆剤となる中堅が動かないことを悩みます。

 人には色々な人がいます。色々な刺激を受けても変わらない人。刺激を受け続ければ変わる人。刺激を受ければ変わり、変わり続ける人。刺激を受けなくても変わる人。そして、もっとも多いのは刺激を受け続ければ変わる人だと思います。それは、まるで核反応のようです。核反応は核物質が一定以上(臨界量)を超えると、反応が連鎖し、爆発的な反応が起こります。ところが、それ以下では反応は連鎖しません。

 その臨界量にいつ達するか?それは分かりません。でも、十年先ではないことは確かです。この十数年、『学び合い』とつきあっている私は、最近の変化の大きさを肌で感じています。では、どうやって臨界量に達しさせるか。今、この段階で『学び合い』を実践している方は、「刺激を受ければ変わり、変わり続ける人」と「刺激を受けなくても変わる人」です。そして、世の中には、「刺激を受ければ変わり、変わり続ける人」が一定数、必ずいます。そちらに目を向けて欲しいと願います。同じ学年にいなければ、別な学年に。同じ学校にいなければ、地域に。

 『学び合い』では手のかかる「その子」に拘りません。「その子」と距離をおきます。しかし、その子「も」見捨てません。だから、伝えられる子に伝えるのです。伝えた子が「その子」に伝えるのです。

 驕らず、たゆまず。

[]語ること 09:16 語ること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 語ること - 西川純のメモ 語ること - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、地元の同志の学校に行きました。『学び合い』で成果を実感しているものの、「もっと」を願い、悩んでいました。その同志の説明を聞き終わって私が言ったことは、「と、いうことを子どもに語ってください。おそらく、子どもに言っていないでしょ?子どもたちは先生がそれを望んでいるということを知らないだけです。『学び合い』の考えに照らして、子どもたちに語ってください。まあ、最悪でも2週間以内に改善されるはずです。」と言いました。

 書いてみれば、馬鹿馬鹿しいほど簡単なことです。どうも、すくなから無い同志が悩みを一人で抱えてしまいます。でも、願うならば、実現を子どもに求めればいいのです。当たり前でしょ?大抵は実現します。実現できないかもしれません。でも、それで実現できないならば、たった一人の教師が一人で抱えて解決できるわけありません。

 『学び合い』では語れば解決できるのです。でも、一斉指導では解決できません。なぜなら、「何故?」に教師が応えられないからです。例えば、「静かに勉強する」ということをちゃんと説明できる教師なんて、まあ、いないでしょう。少なくとも、私が教えた暴走族の子どもたちに説明できないでしょうね。彼らはきわめてシンプルに、論理的に論破します。おとなしい子どもたちも、その腹の中は同じです。ただ、「分かったふり」をするだけに過ぎません。もちろん、納得しなくても「先生が言うならば」と思う子もいます。でも、そんな子どもは、自分の頭を使って動きません。そして、大多数の子どもは「分かったふり」で行動します。それじゃあ解決できないのは当然です。

 我々は「何故?」にちゃんと応えられます。それが強みです。