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2008-10-23

[]職能 22:19 職能 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 職能 - 西川純のメモ 職能 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は以前より、現状の教師の職能のとらえ方が納得できません。大抵の教員養成及び、教員再教育では、なにか学ぶべき固定的な知識・技能かがあると仮定しています。そして、人によってそれは違います。でも、そんなのあるでしょうか?私は最底辺の高校で理科教師をやっていました。同じ都立高校の理科教師でも、進学校の理科教師がいます。私は両校で共通して必要な知識・技能なんて無いと断言します。もちろん、抽象的に考えれば、扱う物理学は同じだと言うことは言えます。が、実際に教えていることと、物理学との距離は離れすぎていて、その恩沢を感じることは出来ません。まあ、生物学を学んでいる学生が、位相幾何学を学ぶことのメリットぐらいしかメリットはないでしょうね。

 それぞれの単元、いや各時間ごとに考えれば、それにあった知識・技能というのはあります。例えば、これこれの実験をする場合の注意点は何か?とか、これこれの課題を出すときの初回の発問はどうしたらいいか?とかはあります。でも、毎時間、毎時間に対応したそれらのことを全て覚えようとしたら気が狂うほどの分量です。覚えきる前に退職になってしまうでしょう。

 結局、その職場、その子どもを前にして、それに対して必要な職能をその場で獲得する能力が必要なのだと考えています。そして、それに必要なのは以下の三つだと考えています。

 1)子どもや親のせいにしない。確かに、それが原因なのかもしれないが、それを言ってはおしまい。

 2)尊敬すべき、先輩、後輩を捜し、その人といっぱい雑談をする。見いだす方法は、子ども「たち」に聞けばいい。

 3)まねられるところはまねる。まねられないところは、まねる必要はない。今の自分のままで、出来る授業はある。

 子どもや親のせいにするという合理化をすれば、その人の進歩は止まります。そして、子どもや親の悪口を言っている内に、その毒は自分の体に回ってしまいます。でも、自分一人の能力は限られています。他の人の能力を借りる能力が一番汎用性の高い能力です。しかし、人からの借り物は必ずしも自分にフィットするわけではありません。自分にあったオーダーメードをしなければなりません。つまり、最後は自分の頭で考えなければならないのです。

 私は教職大学院に入った学生さんに、上記三つを獲得して欲しいと願い、それにあった場を提供しているつもりです。まず、色々な面から問題の多い子どもと思われる子どもが『学び合い』によって、全く別の面を見せることを経験させたいと思っています。それを通して、子どものせいにしては前に進めないことを学んで欲しい。

 教職大学院では学校現場にどっぷりと浸かります。学校での色々な先生方と繋がりながら課題を解決します。若い学生さんは、まずは汗をかき、可愛がってもらって、人間として認められてからです。でも、これは若い学生さんにとっては、とても大事なことだと思います。これを理解して就職すれば、激動の新採の1年目を過ごすことが出来ます。2年目は1年目に比べれば、格段に楽です。そして3年目はもっと楽です。そうして、3年も過ごせば、教師の基礎技術はそこそこ獲得できるものです。

 ルーティーンな課題の場合は、人から言われたことをやりさえすれば、そこそこのことは出来ます。しかし、だれもやっていない課題の場合は自分の頭で考えなければなりません。人からアドバイスをいっぱい得ますが、でも、最後は自分です。オリジナルな課題を自ら設定し、解決する過程は大事だと思っています。そして、それをちゃんとしたストーリーにまとめ説明する能力は重要です。

 以上のことを、熱く、暑苦しく、ゼミ生に本日語りました。

 追伸 Nome2733さんから、「過去に書いたことを再度アップしてくれると、最近、『学うび合い』に入った自分にとってはありがたい」と言われたので、気を良くしています。

[]九九 19:43 九九 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 九九 - 西川純のメモ 九九 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 小学校2年生の息子は、今、九九を覚えています。最近、息子と風呂に入ると九九の暗唱やクイズをやります。そして、昨日は8の段、今日は9の段の競争です。

 今年、49歳にして、初めて私は8の段と9の段が暗唱できないことを発見しました。具体的に言えば、「くさん」と言っても数字が出ないんです。私は直ぐに「さんく」に置き換え27を出します。ただし、「はっぱ64」、「はっく72」、「くく81」はすらすらと出ます。

 ということで49歳になっても私は8の段と9の段を暗唱できません。できませんが、私は数Ⅲと物理を選択して筑波大学に入学し、東京都の高校の物理教師として採用されました。九九の暗唱なんて、そんなもんだと思います。

追伸 東大に入るには8の段と9の段を暗唱することが必要なのかもしれません。あはははは

[]強いる 08:17 強いる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 強いる - 西川純のメモ 強いる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 迫害を受けている同志がいる一方、指導的な立場の同志もいます。その場合、「『学び合い』を無理強いするべきではない」というお考えの方もおられるでしょう。本日、ある同志からいただいたメールに触発されてメモります。

 そのようなお考えは基本的には間違っていないでしょうが、おそらく、根本の部分が誤解されているように感じます。おそらく、そうお考えの方は『学び合い』を方法としてとらえているように感じます。即ち、教師の発言時間がきわめて短く、子どもたちが自由に立ち歩き相談できる授業方法として捉えているように思います。私もそのような「方法」は強いるべきではないと思います。我々は子どもに「立ち歩け」と強いません、「立ち歩いてもいいよ」と言うだけです。もっと言えば、何も言わなくても、立ち歩いても叱らなければ子どもたちは立ち歩きます。

 そんなことはどうでもいい。しかし、『学び合い』の根本的な考え方である、学校教育は何のためにあり、教科学習の全てはその目的を達するための場であるという学校観や、子ども「たち」は有能であるという子供観は強く語るべきだと思います。

 さらに言えば、そのようなことを言わなくても、「子どもたち「全員」の学力保証するために、最低点を上昇する」、かつ、「不定愁訴・保健室登校・不登校を0にする。」の二つを実現することを強いるべきです。そして、それを厳しく評価すると語るべきです。我々教師は、教職免許法や教育公務員特例法等の法律によって存立しています。そして法は、上記を求めています。上記に反対することは、出来ないはずです。

 さらに考えてください。現状のクラスには、授業の内容が分からず、その分からない授業を毎日数時間だまって聞くという拷問が毎日行われています。そして、それが十数年間続くのです。さらに、出来ないということから、人としての価値が低いとラベルされ、苦しんでいる子どもがいるのです。そのことに目を向けず、我々教師が教員集団という小集団の中で安寧をむさぼるのは罪です。

 「子どもたち「全員」の学力保証するために、最低点を上昇する」、かつ、「不定愁訴・保健室登校・不登校を0にする。」の二つを実現することを強いるべきです。それが義務だと思います。そして我々教師は、それを受けるべきです。

 筆(キー)の勢いで書きすぎたと感じます。でも、あえて修正しません。なぜなら、私には子どもの苦痛が感じられるからです。

追伸 もちろん、言い方、には政治が必要であることは当然ですね。

追伸2 上記二つという当然のことを同時に実現できるのは『学び合い』のみであると思います。が、そうでない道があるならば、それは学び、吸収したいと思います。