■ [大事なこと]悲惨
以下で書くことは、誤解されるであろうことは十分に分かっていて、でも、書きます。
ふと見た広告には、幼い子どもが抱き合っています。それによれば、早くから両親に死に別れ、出産時に死んだ姉の子どもを育てている子どもの姿だそうです。そして、ある基金によって救われた、と結んでいます。子どもが悲惨な状態であることを耐えられない私としては、読むだけで息が苦しくなります。
さて、その子どもは悲惨なのでしょうか?
アウシュビッツで拷問を連続する実験をした結果によれば、囚人は拷問と拷問のわずかな合間を「幸せ」と感じたそうです。我々、日本人はガン、脳卒中、心筋梗塞によって八十に達する前に死ぬ人が多くいます。では、我々日本人は今の自分たちを悲惨と悲しんで生きているでしょうか?否です。でも、今から百年後の日本で上記の病気が克服されていたならば、その時代の人からは悲惨だと思われるでしょう。これをどう思いますか?おそらく、平均的な日本人は平均寿命が三十歳のアフリカの地域の話を聞くと、悲惨だと想像します。
何が言いたいかというと、他の社会に生きている人間には、ある社会に生きている人間の幸不幸は分からないと言うことです。どんな状態であったとしても、その中で幸せを感じることは出来ます。
これから書くことを不快に思うかも知れませんが、お許し下さい。
全世界には、子ども時代を子どもとして過ごせず、若年労働に従事している子どもが多くいます。そして、中年にいたる前に死ぬのが殆どです。そこには若年労働を強いている大人がいます。しかし、その大人は必ずしも悪いことをしているとは思っていません。だって、子どもは「そんなもんだ」と思っているのですから。それを悪だと思っている先進国の人が言ったとしても不快でしょうね。何を偉そうに、と。
今日本では、義務教育は9年間です。そして実質は高校までの12年間です。その中で、「何故、黙らなければいけないのか?」、「何故、学ばなければならないのか?」の説明をされずに隷属を12年間以上も強いられています。そうして競争によって尻をたたかれ、その結果としてドロップアウトする子どもは続出です。学校教育というシステムからドロップアウトする子どもは10%以下であったとしても、自主的な学習を放棄している子どもは過半数を超えているのではないでしょうか?
私も高校教師時代、悪意はありませんでした。いや、善意に満ちあふれていると自信を持っていました。でも、結局、私はやさしく若年労働を強いている大人と同じなのです。個々人は悪意はないことは十分分かっていても、言葉に刺が多いのは、上記の理由なのです。