■ [大事なこと]即戦力の人心術

同志のブログにあったので読みました。実に良い本です。何度も書いていますが、正しいことは多くの先人が気づいていることです。『学び合い』と重なる部分が多いように思います。それに対する賞賛・共感はあるものの、あえて「違うな~」という部分を書き出します。
この本に書いているのは、中間管理職の仕事のように思います。例えば、著者は数百人の部下を深く知り、それに基づいた管理を誇っています。そして、それは圧倒的多数のビジネス書、そして、圧倒的多数の教育書では「是」とされています。しかし、一度それを「是」とするば、元の黙阿弥になってしまうことが分かっているので、多くの善意の教師から嫌われるであろうことを予想しつつも、「非」と主張し続けます。
教師は、子どもよりも教え方がうまいと思っています。
教師は、子どもよりも子どもの悩みを解決できると思っています。
教師は、子どもよりも子どもと仲良くできると思っています。
教師は、子どもよりも楽しい話が出来ると思っています。
教師は、子どもよりも物事を知っていると思っています。
教師は、子どもよりも正しい判断が出来ると思っています。
教師は、子どもよりも・・・・・・・・・と思っています。
「え!?当たり前でしょ、だから教師なんだから。」とお思いの方もおられるでしょう。しかし、私はそう思いません。たしかに教師は「ある子」より出来るかもしれません。そして、「ある子」はクラスの大多数かもしれません。しかし、「その時、その事」に関して全ての子どもを勝っていることは少ないと思います。さらに、個々人としてクラスの子どもに比べて勝っていたとしても、数十人の子ども「集団」に勝っているとは考えにくいと思います。これは小学校1年生においてもです。だって、1日は24時間あり、それは小学校1年生であっても同じです。一人の教師が、小学生1年生であったとしても、その数十倍の速度で判断できるとは考えづらいです。そして、百歩譲って数十人の子ども集団に勝っていたとしたら、私は誇るのではなく、恥じます。だって、有機的な集団になっていないという証拠だからです。
では、何故、管理職は管理職なのでしょうか?そして、教師は教師なのでしょうか?
教諭の方だったら、校長に置き換えれば分かりやすいと思います。
もし
校長は、教諭よりも教え方がうまいと思っています。
校長は、教諭よりも子どもの悩みを解決できると思っています。
校長は、教諭よりも子どもと仲良くできると思っています。
校長は、教諭よりも楽しい話が出来ると思っています。
校長は、教諭よりも物事を知っていると思っています。
校長は、教諭よりも正しい判断が出来ると思っています。
校長は、教諭よりも・・・・・・・・・と思っています。
と思っている校長をどう思われます。噴飯ものでしょうね。なお、校長を教育長、教諭を校長に置き換えても同様です。
管理職は管理職なのは、そして、教師が教師なのは、それは優れているからではなく、「そういう立場」なんだと私は思います(もちろん私もそういう立場に過ぎないと思っています)。では、どういう立場なのかと言えば、「集団全体に対して目標を与え、それを納得させ、評価し、集団の課題を達成する」立場なのです。
私はビジネス書、教育書、またブログにおけるリーダー論、教師論を読む際、自分と同年代の管理職が、そうことを考えて行動する人だったら「傲慢」と思うか?それとも、「あ~、自分は管理職にならずに善かった。管理職はその人に任せておこ~っと」と思うかで判断することは少なくありません。
追伸 著者は船長としては卓越していました。しかし、艦隊の提督にはなれなかったでしょう。それ故、彼は退任してコンサルティング会社を設立しました。おそらく、中間管理職においては意味あるコンサルティングを出来るでしょう。しかし、社長・取締役の役には立たないと思います。