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2008-12-05

[]にてるな~ 22:58 にてるな~ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - にてるな~ - 西川純のメモ にてるな~ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、宮崎にいます。ゼミ生さん、Mさんと楽しい飲み会をしました。ということで、短いメモ

 宮崎空港駅から宮崎駅の電車に乗ったら、JR九州の宣伝ポスターが目につきました。コピーは「電車で行く、あその旅」でした。「あそ」が大きく書かれていました。それを読んだ私は「あ、そ」という馬鹿馬鹿しい反応をしました。一緒に乗ったゼミ生に言えるほどのレベルではなく、心の中で留め置きました。

 で、思い出しました。

 昨日の食事中です。ごちゃごちゃと息子が質問します。私が一生懸命に説明します。そうすると納得した息子は「そうか~」と言います。そのあと小さい言葉で「せんべい」と言いました。私はその言葉の意味が分かりませんが、家内が笑い出しました。その笑い声で、息子のだじゃれの意味を分かりました。

 今日、宮崎空港駅で乗ったJR九州のポスターで発見しました。息子のダジャレ好きは、私に似たんですね。あはははは

 では、お休みなさい。

[]声がけ 06:58 声がけ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 声がけ - 西川純のメモ 声がけ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある方より、遅刻をする子どもに対してどのように対応すべきかを聞かれました。これは、遅刻であろうと、勉強しないであろうと、忘れ物をするであろうと、みんな一緒の対応が必要です。

声をかけるという状況では、多くの教師は子どもに語りかけています。それは、クラスに語りかけるときも同じです。ただ、多くの先生は、1種類の語りかけで大丈夫だと思いこんでいます(あはははは)。でも、どんな教師の語りかけも論破する理屈はあるのです。

従って、子どもは従いません。もっとも典型的な理由は「俺には関係ない」でしょうね。そういう逸脱を続ける子どもがいた場合、教師はその子、その子にあった声がけをしようとします。このタイプの子どもは、こう語り、別なこのタイプの子どもは、こう語り、てな具合です。この対応の仕方に、教師は子どもに語りかけていることが端的に表れています。図で書くと、教師と子ども一人一人が一本の線で結ばれ、教師がその中心にいるんです。

 しかし、『学び合い』では対応が違います。我々は子ども「達」に語りかけます。そして、子どもが子ども達になることに意を尽くします。まずは、学校教育は何故あるのかという『学び合い』の学校観に沿った話をします。そして、達成すべき課題の意義をシンプルに語ります。当然、その意義を理解できない子、反発する子はいます。でも、逆に、その意義を理解し、行動する子もいます。

一般の先生は前者に意識が行きますが、『学び合い』では後者に意識が行きます。そして、クラスの関わりが活性化するような声をかけるのです。図で書くと、ごじゃごじゃと関わり合った子ども集団と教師が一本の線で繋がっている図となります。

 なお、この部分の理論的背景は「学び合いの仕組みと不思議」(東洋館)に書きましたし、その学術的背景は、二つの論文にあります。

西川純、高野知子(1998.3):生徒の環境問題に対する判断と行動、環境教育、7、日本環境教育学会、41-49

西川純、小松公之(2001.8):社会的に構成される環境意識に関する研究、上越教育大学学生、及び、上越地域市民を事例として、環境教育、21、日本環境教育学会、55-62

追伸 ただし、子ども達で解決しようとする場合、学級会を開いて話し合わせる、というのが一般的ですが、我々はそれをしません。

というのは、学級会を開いて解決するという方法がベストであるとは限らないのです。必要があれば、彼らが話し合います。方法の選択は教師ではなく、子ども「たち」がすべきことです。

[]語り 06:58 語り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 語り - 西川純のメモ 語り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は毎日、日本全国の先生方のメールを頂きます。実践の中でのつまずきを知ります。教室は生き物です。色々なことがあります。私は個々の事例に対応したことを語ります。しかし、最終的には「その人」の頭で解決するしかないのです。従って、私がいつもかたるのは「『学び合い』で悪くなることはあり得ない。あり得るのは『学び合い』をやると現状の悪が見えやすくなるだけ。もし、解決せずに、自分の気持ちを楽にしたいならば、『学び合い』をやめればいい。でも、解決したいならば、『学び合い』で見えやすくして、それの解決を子ども達に求めるしかない。」と語ります。

 突き放すような語りは、心が苦しくなる。しかし、そうでしかないのです。何故なら、教師は生き物であり、私は超能力者でも神でもありません。解決できるのは当人しかないのです。私が出来るのは解決のただ一つの道、すなわち考え方を伝えるのみです。でもね、そんなに強い人間なんていません。私もです。だから、つきあいますよ。でもね、本当に大事なのは、私ではなく、身近に繋がれる人を作ることです。それが自分が、そしてみんなが救われる道だと思います。だから、広げることが大事なんです。これは『学び合い』のセオリーです。