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2009-01-14

[]危機感 22:15 危機感 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 危機感 - 西川純のメモ 危機感 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私にとっては、特別支援を受けている子ども、また、不登校の子どもがいかに苦しい状態にいるか想像すると息が辛くなります。ところが、そのような子どもは統計の誤差のレベルであると割り切っている方もいます。色々なところで講演する際、その地域の偉い人と話をすることがあります。そこで特別支援や不登校に関して、『学び合い』が劇的な効果があることを話します。が、残念ながらその話を聞いても、反応のほとんど無い方が少なくありません。また、『学び合い』が学力向上に効果があることを説明しても反応がない先生もいます。その先生と話すとビックリするのは、その先生は自分の授業で殆どの子どもが分かると思いこんでいるようです。

以上のような方々に合うと可哀想になります。その鈍感さであれば、教師であることによるつらさを感じない一方、教師であることの喜びも感じないだろうと、想像します。なによりも、そのような人の管下にある子どもが可哀想です。一方、真逆の方もいます。例えば、現在、上越で『学び合い』を学校の取り組みとしている某学校の校長先生が典型です。

2007年の夏のある時、その校長先生から電話がかかってきました。夏休み明けに私が上越地域で講演をすることとなっていたのですが、その校長先生がその講演会の世話係になっています。そこで、ご挨拶に参上したいと言うことでした。初めて話すその先生に、「お忙しいでしょうから、お気遣い無く」と申したのですが、「どうしてもご挨拶したい」とのことでした。私もそれ以上お断りしてはかえって失礼と思い、受けました。その先生は酒を持って挨拶に来ました。私は「あ~、義理堅い先生だから、酒を持ってきたんだろう」と思いました。その先生は事前に私のこと、『学び合い』のことはご存じない様子でした。そこで、「では、ありがたくちょうだいいたします。で、先生の用件は終わりでしょうけど。まあ、ここまでおいでになったのですから、講演会で話すこと簡単にお話ししましょう」と申しました。その先生も、「まあ、おつきあいで拝聴しましょう」ということがありありと見えるニコニコした顔で聞き始めました。私が学力向上の話をして、そして、特別支援の話をし始めた当たりから顔の表情が変わってきました。つまり、「大学の先生様のお話を拝聴する」という顔ではなくなり、真顔で聞き始めたのです。そして話し終わると、その校長先生の学校の抱えている問題を語り、それを解決できるか?と聞きました。私は解決できると断言しました。ただし、二つの条件を提示しました。第一は、「我々は、我々の『学び合い』によって問題を解決したいと願う人のサポートは出来ますが、願わない人のサポートはしたくても出来ません。ロバを川に連れて行くことは出来ますが、ロバに水を飲ませられないのと同じです。御校の先生は、我々のサポートを願うかを確認してください。」と聞きました。第二は、「我々の考え方は今までの考え方とは革命的に違います。だから、一人で聞いても分からないことが多いでしょう。ですので、複数の先生のサポートをしたい。そうすれば、我々がいないときに、我々の言っていることの分からないことを互いに話し合える。」と申しました。

しばらくして、その先生は二つの条件をクリアーできることを連絡しました。そこで二つのクラスにはいることになりました。二週間のサポート中で、クラスが激変している様子を、その校長先生はちゃんと見取っていただきました。そして、『学び合い』が本物であることを確信し、その学校全体で取り組むことを決めました。

 ディールとケネディーという人は、様々な企業を観察し、それぞれの企業文化が何によって決定されるかを分析しました。それによれば、その企業活動に伴うリスクの高低と、行動に伴うフィードバックが早いか遅いかによって決まることを明らかにしています。そして、リスクが低く、フィードバックが遅い企業の場合、手続き型文化になるとしています。手続き型文化とは、結果はあまり重視せず、定められたプロセスをちゃんとやったか否かが重視されます。現状の学校の姿です。教育行政は、どんどん多くの書類を求めますが、成果の是非はあまり問いません。学校現場も、書類の多さにへきへきとしている一方、それさえやれば結果を問わないぬるま湯に浸っています。行政も現場も、互いにもたれ合っているようです。

 自分の教育の結果におそれを持たず「しょうがない」と合理化したり、「教育は直ぐに結果が出るものではない」と言い訳したりすれば、手続き型文化に陥ります。ポイントは危機意識の有無です。

[]変われないのも芸のうち 13:27 変われないのも芸のうち - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 変われないのも芸のうち - 西川純のメモ 変われないのも芸のうち - 西川純のメモ のブックマークコメント

 マーケティングで有名なロジャーズの普及理論によれば、購買者は革新者(2.5%)、初期採用者(13.5%)、前期多数採用者(34%)、後期多数採用者(34%)、そして停滞者(16%)に分かれるそうです。ある商品はまず少数の革新者に採用されます。その革新者の様子を見ながら初期採用者が採用します。この初期採用者が採用し始めるとブレイクするそうです。

革新者の特徴として、社会からの逸脱者であり、そのため新たなことを採用します。しかし、逸脱者故にその人の言動が他の人へ直接影響することは少ないからです。ところが、初期採用者は革新者ほど逸脱していません。それ故、大多数の人(つまり、前期及び後期多数採用者)に対して影響力を持つわけです。簡単に言えば、革新者がいくら採用されても多くの人は「あの人がやるのね~・・」と無視します。ところが初期採用者が採用するとなると「へ~、あの人もやるの~」と心が動くと言うことです。

それぞれの人が心動かされる媒体は、革新者は公共性の高い情報(例えばマスコミや図書等)なのに対して、多数採用者の場合は人間関係のある人からの情報に依存します。『学び合い』の状態を考えると、現在は革新者にターゲットにした展開から、初期採用者をターゲットに移行しつつあります。

初期採用者が悩むのは当然です。悩むからこそ、前期多数採用者の気持ちが共感的に理解できるのです。そして、ブレイクの原動力となり得ます。変われないのも芸のうちなのです。

追伸 上記に書いているように、初期採用者及び前期多数採用者の納得には、生の人を介した情報が必要です。