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2009-03-29

[]知りたい 19:05 知りたい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 知りたい - 西川純のメモ 知りたい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 はやく関西のDEEPの会の様子、教えてね。

[]プレ・富山の会 18:56 プレ・富山の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - プレ・富山の会 - 西川純のメモ プレ・富山の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 東京の会の帰り、直江津を通り過ぎて富山に行きました。若い先生方の集まりに参加し、熱く語りました。一歩先行くOさんが、自らの子どもの作文を見せていました。今年、また新たな芽が生まれます。大化けの前兆です。

[]座っていること 18:25 座っていること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 座っていること - 西川純のメモ 座っていること - 西川純のメモ のブックマークコメント

 東京の会の際、信州大学のMさんの『学び合い』の模擬授業がありました。見事なもんです。それを経験した、京都のIさんから「参加者は直ぐに立ち歩いて相談したが、私はまずじっくり読みたかった。それでいいか?」と質問されました。私は、「その人、それぞれの方法でいいんだからOKですよ」と説明しました。

 しかし、一つ、説明が足らなかったと思い、直ちに補足します。

 自分が分かるための方法は、自分の判断でいいんです。

 ただし、『学び合い』の授業と、一般の授業には違いがあります。一般の授業では、「一人一人が自分の課題を達成すること」が目標です。ところが、『学び合い』では「みんなの課題を達成することが、みんなの課題です。

 もし、ある子どもが、自分が分かるためにある方法がベストだったら、それを選択してOKです。でも、それだけでは不十分です。みんなが分かるために自分がどういう行動をするかに対して頭を使い、行動し、結果を出さねばなりません。

 これは大事な違いです。

[]広がる 06:18 広がる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 広がる - 西川純のメモ 広がる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 おそらく、『学び合い』の会以外では、その会に初めて参加した人が、その日のうちに別な地域での『学び合い』の会の「主催者」になるということは無いと思います。でも、『学び合い』の会では、よくあることです。

 理由はいくつかありますが、まず、第一に、感染力の高さです。現状の日本の教育環境では『学び合い』に感染するには、いくつかの資質が必要です。でも、感染すると体の奥底に広がります。だって、テクニックではなく考え方ですから。

 第二に、非常にフラットでフレキシブルな集団であるからです。というとかっこいいですが、ようは、もやもやっとしてとらえどころのない集団です。『学び合い』の会を主催した経験をもっている同志だったらよくおわかりだと思いますが、我々には固定的な組織は何もありません。あるのは、一緒にやろうとする気持ちだけです。例えば、「子どもに学ぶ教師の会」には、会長もいないし、総裁もいないし、代表もいません。一級・二級、一段・二段、ゴールド・シルバーもありません。『学び合い』の会をやろうと思ったら、だれ(当然、私も)の許可もいりません。そして、やり方は自由です。方法は自由ですが、課題は「みんな」を掲げることは『学び合い』のセオリーです。

 歴史において多くの集団が盛衰する過程が記されています。分派がおこり、闘争が起こり・・・。でも、美辞麗句を並べ立てても、結局は、大多数の人をそっちのけした、特定の人のエゴ・利害に発しています。だって多くの場合、代替わりの時の遺産相続の時に起こりますから。でも、我々の場合は継承を争うものはなにもありません。

 科学において論争はおこります。でも、科学の分派というのはありえません。それは論争する当事者は、科学のもっとも根幹を共有しているからです。我々も少なくとも学校観・子ども観を共有し、議論し、実践し、考えの具現化を目指した様々な道を探りましょう。

[]革命 06:18 革命 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 革命 - 西川純のメモ 革命 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々は今、革命の中にいる、と感じました。教師の同志の一人が、職場の関係で疲れてやんでいることを知り、考え込みました。我々は、もっとネットで繋がり、一人ももらさずサポートし合わなければならないと思いました。

 志が高ければ、悩むことも多いでしょう。でも、悩むに足ることだと信じます。教師は幸せにならなければならない。教師は家族・仲間といる時間を保証されなければならない。それを実現するには子どもたちの『学び合い』、そして教師の『学び合い』しかないと確信しています。

 愛する教え子を一人のもれなく守れることは現状では不可能です。心ならずも捨てていることを自覚していれば、それは澱のようにたまってきます。そして、教師としての志が徐々に腐っていき、たんなる給料のためとなってしまいます。そして、子どもが自立し、ある程度の老後の備えが出来れば、教師を早く辞めたいと思うようになります。そんな気持ちで、あと数年、いや数十年過ごすのは辛すぎますよね。

 自分が担任(教科担任もですよ)している間は、自分が教え子を守れます。でも、その後の長い時間を教え子を守れません。でも、自分は守れなくとも、支え合う子ども集団・保護者集団を創り上げれば、教え子を守ることが出来ます。

 「理想は高く、現実には柔軟に」です。理想を高く掲げ、玉砕するのはナルチシズムにしか過ぎません。守るべきものがあれば、したたかにやるしかありません。時には、後退し、戦列を整えて下さい。そして、なによりも一人で抱え込まず、みんなでやりましょう。あなたが後退している間に、我々が前進し、あなたが次に進むときに進みやすい環境をみんなで創り上げるしかありません。

 我々は『学び合い』という箱船に、6歳から18歳という多感な人を乗せて、12年間、「多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する」ことは有効であることを伝えなければなりません。そして、それを核として、保護者やその他の大人も乗せるのです。私はこれほど成功率の高い革命は無いと思います。

[]資質 06:18 資質 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 資質 - 西川純のメモ 資質 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 東京の会では、N県のTさんをはじめ多くの方から『学び合い』を成立させるための最低限の資質は何かを聞かれました。多くの方々は、かなりの資質が必要だと予想されます。そりゃそうです。学級崩壊のような状態で、学力や人間関係の驚異的な向上が得られるのですから。でも、私はおおよそ二つだと思います。

 第一は、子どもを見る目です。『学び合い』を実践したい、と思わない限り『学び合い』は出来ません。何らかの圧力で『学び合い』を嫌々ながらせざるを得なくなった人は、『学び合い』はできません。だって、『学び合い』のポイントは心や考え方ですから。現状に満足している人は、『学び合い』を実践したいとは思いません。だって、平均的な先生からは学級崩壊としか見えないクレージーな実践ですから。でも、あえてそれをするという人は、そうせざるを得ない状態であることが見える人です。ただし、見えるのは「子ども」であって、「子どもたち」では無い方が多いように思います。でも、『学び合い』を実践すれば、子どもたちが見えてきます。

 第二は、子どもたちをある程度掌握する能力です。『学び合い』では教師が「みんな」という目標を与えたとき、クラスがそれを受け入れなければ成立しません。ただし、教師が語れば、クラス全員がシーンとなって聞き惚れるという教師ドラマのような状態は不要です。教師が語ったとき、それなりに聞いている状態を担保できれば結構です。そんな状態であれば、クラスに4、5人程度は、その人の語ることを理解できます。その4、5人が広げればいいのです。

 以上の資質は、とてつもないものではありません。特に、第二は日本の圧倒的大多数の教師が持っている資質です。もちろん、凄い指導力のある先生が『学び合い』をやれば、そりゃ凄いことが出来る。でも、そうでない先生だって、上記二つがありさえすれば可能です。

 ただ、現状では第三の資質が必要です。それは政治力です。というのは『学び合い』をやれば子どもたちは直ぐに受け入れ、凄い成果を上げます。だって、現状よりも圧倒的に楽しいし、授業が分かりますから。ただし、大人は別です。だから、大人相手の駆け引きが大事です。でも、これは一人だけの資質では解決できません。結局、我々がみんなで理解し、政治的駆け引き無しで『学び合い』を実践できる環境を作らねばなりません。従って、第三の資質は、個人の資質であるとともに我々の資質といえます。

追伸 管理職の方へ。『学び合い』を強いるのは『学び合い』の考え方に反します。しかし、学習者全て(本当に全て)に最低の学力保証と、安心できる学校の保証は、全職員に強いるべきです。同時に、一人も孤立しない、教員集団という環境を提供するのは管理職の勤めです。つまり、クラスの『学び合い』と「全く」同じです。