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2009-03-30

[]池田さんの質問に応えて 18:44 池田さんの質問に応えて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 池田さんの質問に応えて - 西川純のメモ 池田さんの質問に応えて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 京都の池田さんから公開質問状(あははは)http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2009/03/post-24ef.htmlが来ました。メールでも丁重にご挨拶がありました。私なりの「応え」を簡単に書きます。こういうレベルのことは一問一答では終わりませんから。

 質問の1~3はほぼ同じ内容です。つまり、『学び合い』が成立する前提は何か、特に、その際に教師に求められるものは何か?です。池田さんの論は教師が教師になるためには子どもにそれを認めさせねばならない、というものです。私もそう思います。しかし、そのために何が必要で、どれだけの子どもからそれを認められなければならないか、というあたりで違います。

 まず、教師として認められるには何が必要かに関しては、「勉強しなさいをいわない授業」に詳しく書きましたが、簡単なものはいかにも書きました。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20081230/1230591493

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080514/1210781135

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20071201/1196477914

 ポイントは、現状の教師像は会社でいえば主任か係長レベルのイメージなんです。ところが、『学び合い』における教師像は会社でいえば取締役、社長レベルなんです。まあ、職員室に置き換えれば、校長が校長として認められるために、各教科の指導法を勉強しなければならない、といっているようなことは本質的ではないと私は思っています。これは「校長訓話集」を覚えたり、話術の練習するのも同様です。

 さて、勉強しなさいをいわない授業や上記のブログで紹介した教師像は、かなり難しい能力です。全ての教師にそれをもとめても無理です。でも、校長の中にはその能力をそれほどもたづとも良い学校はできと思います。それは心です。

 『学び合い』で6、7割の子どもたちに認められるというのは、決して青春ドラマのような心酔レベルではありません。あくまでも、何かを語ったとき、あからさまな反抗をせず、聞いたふりをしている子どもが6、7割以上いるということです。

 多くの教師は、教師の力でクラスの子どもの大多数を動かそうとします。まあ、それが出来る人ならば結構ですが、かなり難しいでしょう。でも、そんな能力を持たない人であったとしても、学校に対する思い、子どもに対する思いがあるならば、それを愚直に語り続けるならば、それを受け取れる人は1、2割はいるはずだと思います。その1、2割の人に「みんな」を語り、その意味を語るならば、広がります。それが『学び合い』の考え方です。

 私はかなりキャラの強い語りをするし、言葉で本を書きます。おそらく、私を蛇蝎のように嫌う人はいると思います。でも、それは正常だと私は思います。そして、大多数の人にとっては「どうでもいい」と分類され、講演会の後、1時間では忘れられることを知っています。それも正常だと思っています。でも、百人に語れば、その内の4、5人の心には届くことを信じています。私は、つねに「みんな」の意味を語ります。もし、その4、5人が周りに広げれば、私には出来ないことが出来ます。そうやって、『学び合い』は広がっていったと思います。

 質問4に対する応えは、簡単にはかけません。これに関してはHP(http://www.iamjun.com)の『学び合い』を学ぶコーナーに公開している手引き書の完全版(4~7、11~19)に書いています。