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2009-04-05

[]人が悪いな~ 16:18 人が悪いな~ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 人が悪いな~ - 西川純のメモ 人が悪いな~ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する能力が現代人の最大の能力です。ただし、人の本性はサル(現世のサルとは別ですよ。生物学的に厳密に言えば。)です。従って、本来はサルのように小さい集団で生きるのが楽で幸せです。私はその傾向が強いので高校まで友達が出来なかった。今でも、かなり無理をして社会生活をしています。この年になれば、それなりに生きていけますが、たまに社会的に生きることが非常に負担になることがあります。

 最近、ある方からメールが来ました。しばらくはなしたことがないので、春期休業中であることから、機会があったら遊びに来たら、と誘いました。そこからです。

 その人は休日を指定してきました。私が休日をいかに大事にしているかを知っている人だったら考えられない要望です。学生さんではありませんが、何も言わずにOKを出しました。当日です。指定の時間に1時間15分間遅れてきました。非常に恐縮していました。でも、事故等の特殊な事情がないのに30分以上も遅れるということは、時間を「絶対に守ろう」という気持ちはないことは確かです。絶対に守ろうと思えば、予約の1時間ぐらいには到着するような動きをするはずですから。私の場合、遠方の場合は前泊するぐらいのことはしています。ところが恐縮していたのは15分程度で、それ以降はふんぞり返っていました。そして、ビデオを見せながら説明しようとしたら、「シッ」と私の発言を制止されました。ビデオでの声を聞きたかったのでしょう。でも、社会人になってから誰かに「シッ」と言われて発言を制止されたことはありません。「話を聞きましょう」と普通に言えばいいのに、と思いました。その後、その人のペースで会話がすすみました。私なりに説明したのですが、「論点がすり替えられている」とか「ごまかされている」と言われ続けます。正直、1年に数回ぐらいの純粋な怒りがわきます。しかし、「悪気はないんだ。悪気はないんだ。彼は彼なりに真剣に聞こうとしているんだ」と言い聞かせました。でも、話す気力はなくなりました。そこで、「それでは、私は言うのは止めて、あなたの聞きたいことにフォーカスを絞って応えましょ」と言いました。そうすると、「コミュニケーションのルール違反だ。」と私を責めます。そこで、「私は誠意を持って説明しているのにたいして、論点をすり替えれている、とか、ごまかされていると言われるならば、私は説明できません」と言いました。それ以降は、大人と大人との会話になりましたが、それまでの1時間は私が被告で検察官に尋問されているような立場です。つまり、家内や息子の「え~、大学に行くの・・」という声を背にして大学に来てから、遅刻の1時間15分+尋問された1時間+15分(家と大学の移動時間)は全く不毛でした。

 ふと、人の悪いことを思いつきました。まあ、上記のようなことがなければ決してやらないようなことです。私は人と『学び合い』に関して話せば、私のどの本は読んで、どの本は読んでいないか(買っていないかではありません)が分かります。だって、自分の本なんですから。そして、本ブログを定期的に読んでいる人か、また、同志各位のブログをどの範囲で読んでいるかが分かります。だって、自分のブログは自分は書いていますし、私は少なくとも現状では同志のブログを読んでいます。

 ということで、その人は最近の本は読んでおらず、本ブログやHPさらに同志のブログは読んでいないと判断しました。(ブログやHPを読んでいる人だったら、私に休日に面談を申し込まないと思います。申し込む際は「ご家族にご迷惑をおかけしますが・・・」という言葉があると思いますので。あはははは)上記が誰を指しているかは、ご当人しか分かりません。本ブログを読めばなんらかのアクションをするはずです。ということで、本メモをアップする次第です。かなり人の悪いテストですが、上記のような社会人として万死に値する行為をして、それをちゃんと謝らないのにも関わらず、その人が求めるならばサポートをし続ける気持ちを持っていることで許されると思います。

 ま、リアクションがないということは、私に対しての思いは口先だけということが分かります。ま、「先生、人が悪すぎます」というメールが来れば、私の見たて違いなのですから、失礼はおあいこです。

[]好きな先生 11:13 好きな先生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 好きな先生 - 西川純のメモ 好きな先生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの教師は「授業の上手い先生=好かれる先生」と思っているのではないでしょうか?少なくとも授業が下手な先生は好かれないと思っていると思います。私もそう思っていました。少なくとも平成12年頃まではそうおもっていました。だから、学部の授業ではガンガンにテクニックを教えていました。そのころは理科コースに所属して、理科教育法を担当していたので、その時間には「面白実験」、「子どもが自主的に実験準備と片付けをするようにする指導のステップと教師の準備」、「子どもの誤解を表出させる発問の仕方」、「ほろりとさせる理科の話」・・・・を雨あられと語りました。

 平成12年にある調査をしました。その結果、好きな先生と授業のうまさは関係がない(まあ、多少はありますが)ということです。これには私もビックリしました。だって、そのころの私は自分の授業のうまさにプライドを持っていたのですから。でも、調査結果はそうでした。そして、むしろクラス集団の中で「その先生」をどのように見ていると合意が成されているかが重要であるということです。

 現在の私のテクニックに関する基本的考え方は、この調査と平成9年ぐらいから始めた『学び合い』研究とがリンクしたために形成されたものです。なお、平成16年には、どのような校長が優れた校長と教諭に思われているかを調査しましたが、これも同じです。結局、意識するかしないかは別として、『学び合い』的な考えを持って行動しているか、いないかが問題なんです。

 テクニックはあればいいと思います。でも、必須ではありません。そして使うとしても最初の数ヶ月(いや数週間)ぐらいです。それ以降は、その先生がどんな人だとクラス集団が合意するかの方が決定的に重要になります。テクニックを多く持っている人が子ども達に支持されるのは、テクニックを積み上げて良き授業を形成したいという願いを子どもが見取るからです。実体は心、テクニックは影です。

 同志のブログ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/abematu/20090405/1238885512)を読んで書きました。

[]派遣労働者 11:13 派遣労働者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 派遣労働者 - 西川純のメモ 派遣労働者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 世の中は「派遣労働者」の問題がクローズアップされています。企業側の利便から生まれた派遣労働者ですが、そこには多くの問題があるようですね。でも、教育の世界にもへ県労働者みたいな制度があります。それは常勤的非常勤講師という訳の分からない制度です。ビックリするのは非常勤講師に担任をさせ、学年主任をさせています。私が腰をのかすほど驚いたのは、ある学校では非常勤講師が教務主任を務めています。

 私は常勤的非常勤講師の方が担任や教務主任を務める能力が無いと思っているのではありません。事実、学校が判断し、ちゃんとつとめを果たしていることからも、その能力があると思います。私が怒りを覚えるのは、そんな能力があると判断している常勤的非常勤講師の人が常勤になれずに何年も過ごしているということです。そんなに常勤的非常勤講師で勤めさせているならば、常勤として採用させろ、ということです。

 例えば、5年以上、常勤的非常勤を勤めて校長の推薦がある場合は、基本的採用すべきです。また、1年以上、担任として常勤的非常勤を勤めて校長の推薦がある場合は、1次試験は免除にすべきです。だって、1次試験を科さねばならない人に、担任を任せるなんて不合理ですから。でも、おそらく県教育委員会はなかなか動かないでしょう。派遣が重宝している企業と同じです。ですので、保護者が声を上げてもらえないでしょうか?つまり、「1次試験を来年受けなければならない先生に、私たちの子どもの担任を任せないで下さい!」と。現状で、常勤的非常勤の力無しでは学校は成り立ちません。そして、1次試験を来年受けなければならない先生に担任を任せるのは不合理です。となると、重い腰を上げなければならないと思います。

 一時的には財政的負担が生じます。でも、現場の年齢バランスをとるには、上記にした方が長期的には良い結果を生み出すと思います。ただし、当然、常勤的非常勤に対する推薦を行う場合は、客観的で妥当な評価をすべきです。ただし、それが中学校レベルの教科の問題を解けるか解けないか、また、コメニウスやヘルバルトを知っているか、教師人生の殆どで無関係な法の条文を知っているかではないはずです。私としては、客観的な学力テストの上昇、保健室への不定愁訴率などの客観的データ、及び保護者からの評価が良いと思っています。校長という一人の人間が評価する場合、統計的な大数の法則から外れて、当たり外れがあるので、それだけというのはマズイと思います。

 けっこう、あたっていると思うのですが・・