■ [う~ん]しょうがない 22:48
ゼミ生だったら分かることなのですが、私は授業・講演のモードと対ゼミ生のモードでは全く別人です。前者は一斉指導のようにブルドーザーのようにガンガンにやります。ところが後者は『学び合い』でやります。つまり、願いますが、強いません。ところが、前者のように強いると誤解を受けます。
方法を強いるのは非『学び合い』です。『学び合い』のテクニックを強いたら『学び合い』ではなくなります。学校教育は何が目的か、また、子ども達はどんな存在であるか、それは語り願います。しかし、強いません。これはゼミ生になってから分かることですが・・・・