■ [う~ん]泣く
大学の授業で、大学教員が泣く。こんな恥ずかしいことはありません。授業を聞く側の人としては、どのように振る舞って良いか分からなくなります。そんなのナルチシズムで、恥ずべき事です。多くの学生さんは、鼻で笑っているでしょうね。
と分かっているのですが、本日の講義で泣いてしまいました。思いを語る内に、頭の中には走馬燈のように色々なことが思い出されます。『学び合い』によって得られる素晴らしい感激。それ以上に、現在の教育の中で苦しんでいる子ども達。そして、自分が加害者だったという消えぬ記憶。
もし、5割、6割の子どものことを考えるならば、凡庸な教師でも大丈夫です。しかし、7割、8割の子どものことを考えるならば、名人教師にならねばなりません。でも、9割、十割の子どものことを考えるならば、『学び合い』しかありません。私の教師としての原体験は、その最後の1割、いや、最後の1分の子ども達なのです。その子どものことが頭から離れません。それが私の志の原動力であり、私への鞭でもあります。
残念ながら、その志を伝える力を欠いています。
■ [う~ん]構造は同じ
職業柄、私は教育委員会の上層部から、新規採用者までおつきあいがあります。
知っている教員の人から「なんで、あの人を校長にしたの?」と愚痴を聞くことがあります。別な機会に、知り合いの校長や教育委員会の人に何気なく、その人のことを話題にすると、愚痴の内容のことを正確に理解しています。では、「そんなに知っているのに何故校長にしたの?」と聞きたいところですが、結局、「しょうがない」ということなのです。つまり、その人には悪い面がありますが、憎めない面もあります。その人の事情を知れば、「しょうがない」と思えるのです。
世の中には担任をする度に、学級崩壊を起こしたり、不登校を生んでしまったりする教員がいます。保護者としては「なんで、あの人が先生を勤めているの?」と愚痴を聞くことがあります。別な機会に、知り合いの教員の人に何気なく、その人のことを話題にすると、愚痴の内容のことを正確に理解しています。では、「そんなに知っているのに何故教員を務めているの?」と聞きたいところですが、結局、「しょうがない」ということなのです。つまり、その人には悪い面がありますが、憎めない面もあります。その人の事情を知れば、「しょうがない」と思えるのです。
どんな校長だって、どんな教員だって、人としては憎めない。でも、その被害を受ける人にとっては災害です。結局、どの階層においても、『学び合い』しか解決のすべはありません。みんな「しょうがない」と思っているのが現状です。