■ [親ばか]虫取り
息子の作文には独特のリズム感があります。それは私が読んだ、どの文章にもありません。親ばかですが、天才だと思います。
『今日、たぶん、3回目だとおもいますがー。月かげの里にいきました。
そして、さっそく虫をゲット!その虫の名前は、シオカラトンボです。じつはこれ、川でれんしゅうしたものです。
さて、こん虫の楽園(?)とも言われる田んぼにつくとすぐに、きいろくてとんでいる化け物があらわれました。ん?書面から見ると、糸トンボという虫でした。今日は、えさがいっぱいいいる日なのか、トンボがやけに多く飛んでいます。ぼくはあみをかまえ、すぐに、「おりゃ」。バサッ。けれども、トンボは、人間とくらべたら、スピードはけたちがい。うへー。そこにはまちゃった。おべんとうを体いく館でたべます。さて、ごご。ぼくのねらいは、チョウだったんだけど、ルリシジミでした。でも、これがたのしいときだってあるんだよねー。なんかふくざつだな。そして、帰りぎわチョウをにがしてやりました。バイバーイ。』
ということで、土曜日の虫取りは活きました。
■ [大事なこと]迷い
野外には色々な雑草があります。どちらが信じられますか?
a) 全ての雑草は美味しく食べられます。ただし、最初は苦いと思います。しかし、黙って50回嚼んで下さい、とても美味しくなります。
b) 雑草には美味しく食べられるものがあります。特に、キク科植物のオニタビラコは特に美味しいです。ただし、最初は苦いと思います。しかし、事前に10分間レンジで温め50回嚼んで下さい、とても美味しくなります。
どうでしょうか?おそらく、b)の方だと思います。b)の説明だとオニタビラコを食べてみようかなと思うかもしれません。そして、それが美味しければ、他のキク科植物も食べしてみようかと思うかもしれませんし、やがてイネ科植物も食べてみようという気になるかもしれません。
ずっと前から迷いがあります。
『学び合い』のことを説明すると、「そんなこと出来るわけ無い」、「特別なクラスの場合に出来る」・・・と言われます。それに対して、どんな論理的な説明をしても、どんなデータを示しても、納得しません。だって、「そんなはずない」という強い思いこみがあるからです。まあ、「2mの垂直跳びを出来る」という話を信じられないのと同じです。
これに対して、「特別に優れた教師だけが出来る超高度な指導法」という説明ならば納得しやすいと思います。そこで「優れた教師になれるには・・・」という説明ならば受け入れやすい。少なくとも最初から拒否することは無いと思います。
現状で『学び合い』が出来るというのは特別か?といえば、ある意味正しい。でも、多くの人の特別という意味ではなく、別な意味で特別なのです。そりゃ、食べてみると決心できるという意味で特別なのです。
しかし、上手く説明できないのですが、「それは正しくない」と私の直感が囁きます。信じてもらうには大変でもb)ではなくa)を選ぶべきだと直感が囁きます。多くの教育の研修会では、名人教師・スパー教師が奥義を伝授しています。でも、『学び合い』の会では、そのような姿ではありません。「ごく普通の自分でも出来ます」、「こんなことがあるけど、大丈夫、子どもは凄い力があります」というスタンスでみんな発表していると思います。そんなのが、いい、と思います。
追伸 言うまでもなく、オニタビラコは美味しくないですよ。たとえ話です。あはははは
■ [大事なこと]一斉指導的『学び合い』
現在、手引き書をHPで公開しています。その前身は奥義書というたいそうな名前です。今から2年前に公開しました(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20070329/1175159564)。私は、長らくノウハウ本は書かないようにしていました。理由は『学び合い』は考え方であるにも関わらず、テクニックと誤解されることを恐れたからです。しかし、誤解される危険性を理解しつつ、ノウハウ本を作りました。
総合的には、成功だったと思います。あの本によって、一歩を踏み込めた人も少なくなかったと思います。同時に、一歩踏み込んで、迷った人の道しるべになったと思います。
今、テクニックと誤解されることを恐れつつ、次のことを考えています。それは、現状の指導に近い『学び合い』を実践する方法を書いたものです。『学び合い』は考え方です。従って、現状の指導をしつつも、『学び合い』の考えを取り入れて指導することは可能です。誰から見ても従来の指導と見まがうが、『学び合い』は出来ます。それは分かっているのです。でも、一斉指導的『学び合い』と『学び合い』的一斉指導が見た目は紙一重なのです。そこに危うさを感じます。が、その危険性を理解しつつ、書こうと思い始めました。
■ [う~ん]嫌われる
私は嫌われるのが、大嫌いです。信じられないかもしれませんが、本当です。嫌われるぐらいならば、引きこもりたい。
私は『学び合い』は正しいと思います。でも、『学び合い』を嫌う人がいても、しょうがないとお思います。でも、『学び合い』を正しいということで、私を嫌う人がいることは、正直辛い。あまり辛いので、面と会う人に対しては、私が『学び合い』を正しいと思っていることを隠したいという気持ちが起こります。少なくとも教職大学院では、私は『学び合い』を封印したくなっています。
教職大学院では、臨床的に教科教育を分析するという立場で押さえます。そして、本や講演会やHPで『学び合い』を伝えるという方法もあるのではないか、とも思います。
職場で辛い同志の気持ちも分かります。
明日は新潟市の小林小学校で講演をします。
■ [大事なこと]動きの違い
本日、ゼミ生が教職大学院五十数名に対して『学び合い』の授業を行いました。学卒院生が現職院生を含む面々に『学び合い』を実践した心意気を高く評価します。
『学び合い』では集団の色々なものが見えます。本日も見えました。自分の課題の解決に専念する人、自分の課題の解決のために周りの人と関わる人、周りの人の課題の解決のために周りの人に関わる人、そして、五十数人の課題の解決のために自分が何をなすべきかを考える人、と様々です。それらはほぼ、年齢に比例しているように見えました。同じ現職院生でも40代と30代では動きが違います。しかし、それは能力の違いとは思いません。おそらく、現場の学校にいたとき、どのような動きを求められており、そして、その求めに応えていたかを示すものです。
中でも、数人の院生さんは、思わずうなってしまうような動きをしていました。こんな人は、速く出世してもらいたいと思います。若い院生さんもなかなかのものです。中には可愛い顔をしながら、三十代後半の動きをしている学生さんもいました。
全体的に見て、実に良い集団だと思いました。