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2009-07-18

[]恐ろしい 23:03 恐ろしい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 恐ろしい - 西川純のメモ 恐ろしい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ここに書くことは禅問答みたいで分からないと思います。自分自身へのメモです。

 テレビやラジオを発明した人は誰だか記録に残っています。でも、その人達よりも凄いことを発見した人がいます。それはコマーシャルによって放送が成り立つと考えた人です。その人がいるから、テレビやラジオが普及したのです。ハードではなく、ソフトをどのように考えるかと言うことが決定的です。

多種多少なコンテンツがなければ、発展途上国の専制国家のテレビやラジオです。我々には凄い資源があります。同じ基本を共有しながら、多種多様な授業展開が成されています。普通の授業の一こまに、涙を流せる感激があります。それも、部活動ではなく、毎日の国語、算数・数学、理科、社会、音楽、美術、体育、英語、技術、家庭科・・・にです。

 今、授業を公開するには、保護者全員の許諾が必要です。これって難しいですよね。だって、一人の反対があっても、その子どもの扱いには十分な配慮が必要です。みんなを求めない従来型の授業のクラスではかなり困難です。でも、『学び合い』ならば、それが可能となる可能性があります。事実、私の手元には、鮮明な画像を多種多様なメディアに公開して良いという、学校レベルの保護者全員の承諾書があります。これって、『学び合い』の特徴です。

 もの凄いコンテンツが我々にはあります。

 今、私の頭の中には、恐ろしいアイディアがあります。とても恐ろしい。

 私は荒唐無稽と多くの人に思われることを、奔放にメモに書きます。ところが、このアイディアはあまりにもリアルすぎる。そして、色々考えても瑕疵がない。まるで、宝くじの1億円の番号が手元にあって、それを新聞で何度も確認している気分です。自分の中の固定観念をちょいと外してみると、我々のおかれている環境は、私の固定観点が形成された時代と全然違います。でも本当なのか、しばらく考えます。

[]武器 19:22 武器 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 武器 - 西川純のメモ 武器 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 どの職業でも、一頭ぬきんでた働きをするためには武器が必要です。私の最初の武器は、コンピュータの知識でした。大型コンピュータを使えたので、本格的に統計分析をすることが出来ました。今から二十数年前は学術論文でさえ頻度分析の時代でしたので、統計分析を使えるというのは武器でした。それを使って、アンケート調査による学術論文を荒稼ぎしました。また、パソコンのハード、ソフトの知識があったので、それでも論文を稼ぎました。

 次の武器は、認知心理学でした。当時の教科教育学では、せいぜい行動主義心理学やピアジェ心理学程度でした。従って、高度な思考を分析的に扱う手法が未整備でした。そこで認知心理学の手法を活用することによって、今まで未開拓であった高度な思考を扱うことが出来ました。これで論文を荒稼ぎしました。

 上記の武器によって、山のような学術論文、数多くの学会賞、そして博士の学位を得ました。これが私の防具になりました。これによって、学術に関して人様からとやかく言われる危険性は無くなりました。

 次の武器は臨床研究です。優秀な現職院生さん、学卒院生さん、学生さんと共同研究することによって、徹底的に子どもの言動を分析することが出来ました。その頃になると、私が最底辺の高校で教師をやった経験が武器になりました。これらが『学び合い』研究に移行しました。

 高校教師から大学教師に異動してから実践の意識は封印していました。大学教師として授業ではそれを解放していましたが、研究では封印しました。しかし、『学び合い』研究になってから完全に解放でき、イライラ感が無くなりました。そして、本や講演に精を出し、それが私の武器になりました。

 古い武器を捨てて、次の武器を選択するとき、「今度こそ、今後一生使う最大の武器だ」と思います。しかし、新たな武器が見え隠れすることになると、過去の武器が陳腐に見え始めます。これは、上記の展開の中で起こったことであります。そして、そろそろ次の段階が見え始めてみました。

 もちろん、『学び合い』は普遍です。これは成長しつつけるテーマです。しかし、これを実現するための武器は今までとは違うものにしなければと思い始めています。それはネットワークであり、双方向のインターネットのように思います。つまり、『学び合い』そのものです。

 私は天才ではありません。学者社会には本当に天才と思える人がいます。しかし、どう考えても私はそうではない。そういう人は、人と同じことを競っても勝てます。でも、私は、そういう人の競って勝てません。しかし、次はどこかを感じる感覚に長けています。そして、それを主戦場にすることに長けています。今度も勝つつもりです。そして、『学び合い』を本格的に広げたい。