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2009-09-25

[]苦しんでいる子 22:46 苦しんでいる子 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 苦しんでいる子 - 西川純のメモ 苦しんでいる子 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある校長先生に、「『学び合い』に踏ん切れない先生に以下を語って下さい」と言いました。でも、あまりにもキツイので「もちろん、嘘ですよ」と最後には言いました。

私:おそらく、多くの先生方は自分のクラスの7、8割、いや、9割ぐらいはそれなりに分からせられたと思いますよね?

校長:笑いながら頷く

私:でも、実はそうではないということはテストの結果を見れば分かっているはずなのにね?(笑い)

校長:笑いながら頷く

私:おそらく、多くの先生方は自分のクラスの殆どはそれなりに幸せだと思っていますよね?

校長:笑いながら頷く

私:子どもが幸せか、どうか、休み時間を観れば直ぐに分かるんですよ。色々な学校に行きますが、休み時間の子どもの様子を見れば、直ぐに分かります。

校長:興味深げな顔

私:まずは図書館に行くんです。そこで二人並んで座って読んでいるのではなく、一人で図書館にいる子がいます。それを観れば、だれがクラスに浮いているか、直ぐに分かります。休み時間に遊ぶ子どもの集団によっても直ぐに分かります。大きな集団を作っているか否か。男女が交じっているか否か。流動的な集団か否か。もしかしたら、二人の固定的な集団を形成しているかもしれません。それを観れば、自分のクラスが幸せか否かが分かります。

校長:深刻な顔

私:仮に7、8割、いや、9割ぐらいはそれなりに幸せだとしても、1割が残ります。その子はどれほど苦しんでいるか。その子も自分と同じだけ幸せになりたいと思っている。

 この私の言明がどれほど恐ろしいか分かってもらえるでしょうか?校長も私も、その恐ろしさが分かっています。だから、多くの先生方に言うべきではないということは分かっているのです。

 私は恐ろしくて、恐ろしくしょうがない。私の高校教師の現場は、その恐ろしさが額面通りに分かる場所だった。だから、毎日、毎日、1升の酒を飲まなければ過ごせなかった。あんな現場にいたら、「しょうがない」と合理化しなければ生きていけないはずです。合理化しなければ、夜回り先生のようになって、そして、教師を辞めなければならない。

 その恐ろしさは、今でも続いています。どう考えても、私の高校教師だった現場に比べて、子ども達の家庭は平均的にはハッピーです。現在の学校教育にフィットしています。でも、一人一人の苦しみは深いものです。相対化できません。だから、私の大学における政治闘争において、学生の自由選択と情報公開を保証することを第一にしています。私のゼミに所属することを強いられた人は誰もいません、私のゼミに所属し続けることを強いられた人は誰もいません。私は学生さんにフェアーに情報を公開します。だって、人をゼミに強制して苦しませる責任を負えませんから。私は嘘をついて苦しませる責任を負えません。だから、選択の自由を保障し、嘘はつかずにいます。だって、人の苦しみは恐ろしいと思うからです。そして、ゼミでは『学び合い』をやっています。どれほどの『学び合い』が出来ているか?偉そうに言っているほど、やっていません。でも、学生さんに方法を強いることは出来るだけ避けるようにしています。強いれるほど、自分は偉くないですから。

 『学び合い』を理解しない人を憎まないようにしています。一人一人は心優しき人であり、善意の人です。それは分かっています。でも、その善意の人のクラスで塗炭の苦しみを味わっている人がいる。それが許せないという気持ちを禁じ得ない。そして、それと同じことを自分はやっていることが許せない。

 そして、この恐ろしさを伝えきれない、自分が情けない。

 現状の学校は奴隷制度のように思えてなりません。そして、子ども達の苦しみは奴隷制度と同じです。奴隷制度は奴隷を使う側の心も冒します。奴隷制度は歴史の中で潰れます。人道主義とか民主主義という理由からではなく、効率が悪いからです。奴隷制度では、戦うのは一部の奴隷を使う人です。ところが、奴隷のない社会では、みんなが戦います。農業や工業も奴隷の生産性より、自由民の生産性の方が高い。だから、奴隷制度が衰退しました。人類二百万年の歴史の中では奴隷制度はあだ花みたいなものです。

 現在の学校制度も同じです。どう考えても効率が悪すぎます。だから、長期的に衰退することに関しては微塵も迷いはありません。でも、それを短くできるか否か、それが辛いのです。その中で苦しんでいる子ども達を思えば辛すぎる。

 私にストウ夫人の才能がありアンクル・トムの小屋が書けたらと願います。現状の子どもの苦しさを伝える文才があったらと願います。今、九州には「一人芝居」という表現で伝えてくれている同志がいることを知っています。その力は大です。もし、小説で伝えてくれる同志がいたら、マンガで伝えてくれる同志がいたら、と願います。

 大学の奥深くで隠れて逃げていますが、それでもあの業の深さを思い出します。私は最善を尽くします。でも、合理化している善意の人を動かせる力のなさを恐れます。

追伸 今日は酒を多めに飲んで寝るしかありません。だれかストウ夫人になって下さい。

追伸2 生産性を無視すれば、「はい、ご主人様」という従順であることが重要なのでしょうね。でも、そう言っても腹の中では別なことを考えて、かつ、生産性は高まらない。今のクラスのようだ。