■ [嬉しい]宮城の会
二次会にも参加しましたが、さわやかに5時半に起きました。ホテルの大浴場にはいり、今、メモの書いています。
最近の『学び合い』の会で感じることです。
『学び合い』の会には、「面白そうなことを言うパンダを見てやろう」と来られる方もいます。そう思われるのは当然かも知れません。我々はそういう方々に、『学び合い』は珍妙な指導法ではなく、ごくごく当たり前のことを、徹底的に突き詰めたものであることを伝えたいと思っています。
しかし、最近、もう一つのタイプの方が多くなったように感じます。それは、『学び合い』を知っており、本も読んでいる。それが正しいと言うことは分かっている。でも、踏ん切りがつかない、という方です。これは凄いことです。
さらに、次の宮城の会では、参加者ではなく主催者側で受付したり、司会をしていそうな方がいます。層が厚くなったことを感じます。
現在、多くの先生方は追い詰められています。また、これ以上に追い詰められそうだという予感を感じています。私は『学び合い』をそのような方々に伝えたい。出口を失えば心の病が生じます。社会を責め続ければ、統合失調症になってしまいます。逆に、自分を責め続ければ鬱病になってしまいます。そのような教師は多いし、今後も増えつづけるでしょう。そして、その予備軍は数十倍います。心の余裕を失えば、どんな能力のある方でも、よい教育は出来るはずはありません。
一人で解決できるわけありません。それは、その人が無能であるとか努力不足なのではなく、無理だということを理論的にも実験的にも『学び合い』は明らかにしています。それによって鬱病を防ぎたい。そして、一人で解決するのではなく、子ども達と同僚といっしょになって解決する具体的な道を示すことによって、社会や他者を責めずにいられます。それによって統合失調症を防ぎたいと思っています。
我々は際物ではありません。たった二つのことを大事にし続けているだけのことです。
それは、「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決することの有効性を学び、周りの人が、折り合いをつけられる人であることを学ぶことが学校教育の目的である」という学校観。そして、「子ども達は有能である」という子ども観。このだれからも文句を言われる筋合いのない、ごく当たり前のことを大事にしています。
宮城の会の皆様へ、我々はさらに進まなければなりません。期待しています。