■ [大事なこと]怒る
本日は、色々なことを思い出して、どうしようもなく怒っています。眠れないので、ちょいと多めに酒を飲みます。でも、怒りは収まりません。不実な行為は、こちらが誠実なだけに頭に来ます。
全国の同志に「政治をしてください」と言います。でも、私自身が政治を出来ない。相手の不実を論理的に追い詰めて、論破したくなる。が、そうすれば関係者に迷惑がかかる。
思います。私に関係者がいなくなり、徹底的に戦えたら、気持ちが良い!と思います。でも、同志に置き換えたらば、きっとそれは不健全で、誤りです。それは私も同じです。関係者がいて、ブレーキがきいている方が、健全です。
でも、思います。幸いなことに、私の関係者は確信者です。私が突っ走っていることを知っています。だから、ある程度は折り込み済みだと思っています。これに関して、フェアーに語り、詐欺はしたくないと思います。怒りのエネルギーがたまっています。健全に放出したいな~
■ [う~ん]タブー
新潟で国体があり、天皇・皇后杯を獲得しました。でも、人口が1千万人を越える東京も、その十分の1以下の県も、何故か開催県が優勝する。その出発点は、45年前の新潟大会です。
教師だったら、何故、そんなことが起こるのかは知っているはずです。そして、その影響がどれだけ引きずるかも知っているはずです。誰にも悪意はありません。でも・・・・
これ以上は、タブーなので言いません。でも、教師の方はご存じですよね・・・・
■ [大事なこと]巣立ち
特別支援学級の役割とは何でしょうか?それを理解するためには、学校教育の目的は何か?を考えねばなりません。学校教育の目的は大人にすることです。自立する大人にすることです!
自立する大人とはどういう人でしょうか?全てを自らが解決できる人でしょうか?そんな人、世の中に誰もいません。当たり前ですが、いつも誰かが脇にいてお世話してくれる人がいるから生きていける人は、自立した大人ではありませんよね。自立した大人とは、周りの人と折り合いをつけて自らの課題を解決する人です。
つまり、特別支援学級の役割とは、漢字を書けるとか、計算できるではないと思います。そんなの分からなくても幸せに生活できます。特別支援学級の子どももいつかは社会に巣立ちます。そこには特別支援の先生はいません。その多くは、通常学級で育った人たちです。そのような人たちと仕事をして、恋愛をして、人生を過ごします。特別支援学級の役割とは、特別支援学級を巣立つことだと思います。残念ながら、特別支援の話題では、その視点が欠けていて、特別支援学級の中でクローズしているような気がします。
本日、ある同志より以下のニュースを教えてもらいました。心豊かになりました。
『今朝、学校に行ったら、特別支援教室の先生、つまり担任が、私の所に来て、「○君は、今朝、特別支援学級に来て、教室に置いてあった荷物を全部、○組(私の担任するクラス)に自分で持っていちゃいましたよ。」と言っていました。「自分の所属する集団は、○年○組である」という意思表示をしたのかなと思いました。荷物の移動は、そのためのセレモニーなのかなあと感じました。4月から半年かかりましたが、本人とその子を取り巻くまわりの子ども達の意識が変わったようです。』
追伸 でも、当たり前なのではないでしょうか?「優しい先生と二人っきりのクラス」と「自分を受け入れてくれるみんながいるクラス」のどちらを子どもは選ぶでしょうか?いや、選ぶべきでしょうか?少なくとも「優しい保護者」がいる子どもだったらば、後者を選ぶべきだと思います。