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2009-10-14

[]上越1 22:15 上越1 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 上越1 - 西川純のメモ 上越1 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある思いを持って、上越のことをしばらく書きたいと思います。

 上越、どこにあるか知っていますか?上越新幹線や上越スキー場の上越は、群馬(上野の国)と新潟(越後)の県境当たりを言います。だから、以下で言う区分で言うと、中越にあたります。

 新潟県は越後の国と佐渡の国に分かれます。越後の国を3分割して、京都に近い方を上越、遠い方を下越(新潟市のあたり)、中間を中越(長岡のあたり)です。地図で言うと、新潟県の下の方が上越です。

 新幹線のおかげで、東京都には2時間でいけます。が、8時頃に東京を出発しないと極端に電車の便が悪くなります。大阪には5時間かかります。大阪を5時頃に出発しないと家に帰れません。

 上越は、夏の暑さや冬の雪の厳しさ、そして延々と続く曇天は太平洋岸育ちの私にとっては好きになれません。しかし、一方、春と秋の素晴らしさは格別です。特に、雪の後の春の美しさは、言葉に出来ないほどです。

 基本的に平野なので、自転車で苦もなく移動できます。交通渋滞もないので、私の家のドアから、研究室のドアまで15分です。これは都会では考えられないと思います。都会だったら6千万円~一億円以上はかかるゆったりとした家(ある意味豪邸)が、3千万円以下で実現できます。そして、夜は本当に静かです。そういう人口23万人の地方都市です。

 私は東京の板橋区で生まれました。東上線の成増と下赤塚の間で生まれ育ちました、その後、高島平団地近くに住みましたが、基本的に板橋区西部で18歳まで育ちました。大学は筑波大学です。筑波大学を見ながら7年間過ごしました。東京都の八王子で2年間、高校教師として過ごし、それから23年間、上越で生活しています。つまり、私の人生でもっとも長く過ごしたところは上越です。私の息子は上越で生まれ、上越を愛している越後っ子です。

[]沖縄『学び合い』の会 09:52 沖縄『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 沖縄『学び合い』の会 - 西川純のメモ 沖縄『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 第三回沖縄『学び合い』の研究会は11月10日(火)6時半から8時半で、くすぬち平和文化会館(沖縄市)でやるそうです。ふら~っと来て、ふら~っと帰るのもOKです。初対面でも直ぐに仲良くなれます。だって、異質な人と折り合いをつけてつきあうことが自らのためであることを知っている人の集まりなんですから。もちろん、初心者でまだやっていない人もウエルカムです。

 お気軽に。

追伸 お問い合わせは金武町立中川小学校の棚原教頭先生にお願いします。

[]新種の生物 06:59 新種の生物 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新種の生物 - 西川純のメモ 新種の生物 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日から、ある方が洗脳旅行にこられています。昨年度に修士を修了し、現在非常勤講師です。そして、来年度から某県の教師になります。洗脳旅行にこられたといっても、話してみると、もう洗脳は終わっています。ですので、「で、何しにきました?」と聞きました。そうすると「西川先生はどのように日本を変えるお考えですか?」と聞かれたので、詳しく説明しました。その後、私は某県で『学び合い』の会を開いたら?と言いましたら。「では、○○市でやりましょうか?それとも、○○市の方が良いでしょうか?」と既に実施計画の話になりました。私は「え????」とビックリ。私が想定している反応は「え~~、無理ですよ」という反応です。その反応があってから、『学び合い』の会が出来る理由を説明する順序です。ところが、その想定反応が無く、直ぐにやろうとするのです。

 逆に焦りました。社会経験もほとんど無い、25歳の若者が『学び合い』の会を立ち上げようとしているのです。学習者を信じると標榜しているオジサンも、オロオロしてしまいました。そこで、大阪の会と福岡の会を紹介して、そこで立ち上げている同志と引き合わせたいと思います。その上で、いつもの通りに、『学び合い』の会は夜決まるのです。

 でも、新種の生物が目の前に現れたような、ビックリして、面白い、そして嬉しい経験をしました。日本にはこういう若者がまだいるんですね。そして、そういう仲間が同志には多い。私は、この人をネットワークの中に繋がらせることをしようと思いました。