■ [大事なこと]矛盾か?
色々なところで、色々な先生、「一人一人の子どもは違います。個別対応したらきりがありません。だから、本当に一人も見捨てない教育を実現したいならば、一人も見捨てない子ども集団を作って下さい。それが出来るのは教師です」と口を酸っぱくしています。
が、私の行動は必ずしもそれに一致していません。私は日本全国の見知らぬ先生から誠意ある相談を受けて、一度でも不誠実なことはしたことはありません(断言!)。どんな方のメールにも誠実に応えています。合いたいという方にはどんなに忙しくても時間を作ります。
私は子ども(私の場合は、20歳から40歳の学生さんです)から色々な相談を受け、それに対応しています。それらの学生さんが幸せになるために、ありとあらゆることをします。
今日、ほとほと疲れたので、自分の行っていることと、行動に矛盾はないか、自己分析しました。でも、矛盾はないと思います。
私の『学び合い』の究極のコアは、一人も見捨てたくないという願いです。そして、教師として見捨ててしまった子どもに対する自責の念です。教師として、たった一人でも見捨てることが本当に恐ろしいのです。その強迫観念が、『学び合い』に至った原動力です。私にメールを送る人は、一人です。だから、とにかく対話を続けることが私に出来ることです。そして、その人が私ではなく、我々に繋がれるように誘いたいと思います。私では救いきれないが、我々ならば救えますから。
ゼミ生に関しても、私が何とかしなければならないとしたならば、私が何とかするしかありません。私は絶対に一人も見捨て無くない!でも、それは対処療法にすぎません。そのような「私」が出るような状況を変えるため、政治もすれば、集団づくりをします。
私は「助けて~」を無視できないような人間で、それから逃れるためには、その人を助けるようなシステム作り、集団づくりをするしかないのです。
このように自己分析しました。結局、見知らぬ人はもちろん、当然、ゼミ生も含めて、一人も見捨て無くないという、この気持ちは大事だと思います。でも、それに捕まえられて、私の存在意義はそこだと思ったらは、おかしくなります。「我々」しか、解決の道はありません。そこのとろは分かっています。だから、もがいています。でも、まだならば、やれるだけもがくしかありません。
この気持ちを忘れてはいけないと思いました。