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2010-03-18

[]選択 22:47 選択 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 選択 - 西川純のメモ 選択 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日の朝、ツイッターに『教師教育を良くしようとすると、直ぐ、授業数を増やそうとする。小学校教師になろうとする人に高等数学を学ばせるより、違った年代の人と話す経験を与えた方が良いと思う。上越教育大学の教職大学院は、その考えで設計されている。』というツイートをポストしました。我ながら大胆です。こんなこと大学で発言したら袋だたきになるようなことですが、私は対話をしたいがために敢えてだしました。幸い拾っていただく方がありました。多方面から、関わり合って説明しなければならないので、140文字のツイッターでは無理なので、ここに書きます。

 まず、小学校の先生はスーパーマンではなく、一つの職業なのだということを前提とします。小学校教師は40万人ぐらいいます。これは、おそらく最もありふれた職業です。天才や聖職を求められても無理です。ここで、いや違う、と言われれば、すみません。かみ合いません。

 さて、小学校の先生になる学生さんも、多くの大学生と同じ時間を過ごします。例えば、恋もします、愛もします。経験者だったら分かると思いますが、男女関係にはとても時間がかかります。私はゼミを休んだ理由が、どうしても抜けられない恋人関係である場合は叱りません。私の話を聞くより、一生の伴侶を得る方が大事ですから。また、友人関係も同じです。人間関係にはとても時間がかかります。そして、その時間を膨大に費やせると言うことが大学の大事な意味だと思っています。

 さて、私は小学校教師に高等数学は一律に不要とは思っていません。1+1が2であることをペアノのレベルで考えられる教師がいることの価値を否定しません。でも、小学校教師がすべからく必要だとは思いません。たしかに、学ぼうと思っている子どもで、学ぶ力がある子どもはいて、その子どもに数学の奥深さを誘うことの価値を否定はしません。でも、多くの小学校教師が悩んでいるのは、学ぼうという構えが出来ていない子どもにどうやって学ぼうとさせるかです。ペアノを理解している教師の方が、それを理解していない教師より、学ぼうとする構えを保たせられると考える学術的な根拠を私は知りません。

 教師教育に無限の時間がついやせられるのであれば、ありとあらゆる教科の基礎を学ぶことは出来ますが、それは無理です。ちなみに大学の卒業単位は百二十強です。そして、小学校の先生になるための単位は八十強(教育心理や道徳教育や特別活動や・・・)です。さらに、義務教育の交流がある自治体に勤められるためには、さらに中学校免許取得のために二十数単位必要です。つまり、現状の教員養成には余裕はほとんど無いのです。中学校免許で国語を取る学生さんが、小学校免許取得のために数学に関する単位は僅か2単位です。僅か2単位ですが、国語・算数・理科・・・という全科を取ると、その十倍かかるのです。つまり、全科担当の小学校教師の一つの教科を1単位(つまり、7回分の講義)を増やすためには十倍の単位が必要となり、不可能です。これが、教員養成の物理的限定です。

 だから、小学校教師が教えるべき教科に対して、内容的に教えきるのは無理だと私は思っています。だから、全てを教えるというのではなく、必要になってから学ぶという能力を与えた方が良い、というのが私の考えです(繰り返しますが、ペアノのレベルで1+1を理解する教師「も」いても良いと思います)。

 では、何が必要でしょうか?私は、僅か2単位でその教科の網羅的入り口が得られるとは思いません。ですので、小学校教師として生きている先輩から学ぶ力が必要だと考えています。例えば、荒れた小学校と、そうでない学校では教師に求められる力は違います。その学校で必要な能力を学び取れる教科書は、その学校で生き残っている先輩だと思います。さて、学校での先輩とはどんな人でしょうか?1、2歳の違いではありません。十歳、二十歳の違いです。私は二十五で高校教師に採用されましたが、五十後半の先生から「西川先生」と言われ、一人前の働きを期待された時、本当にびびりました。

 さて、現状の学生さんの育った環境はどのようなものでしょうか?ちなみに、近くの公園で一日過ごして下さい。殆ど、子どもに出会わないことに気付くでしょう。少なくとも、その公園のまわりの家庭の子どもの数に比せば、殆どいないと言えると思います。子どもが小さい時は、不審者を心配しての親心があるでしょう。大きくなったら、塾や習い事に習わせる親心があるでしょう。また、DSなどのゲームが遊びの多くを占めている現状もあるでしょう。これは良い悪いではなく、現状なんです。

 次に、学校の校庭(体育館)を見て下さい。異学年で混じり合っている姿は殆どありません。学年の力関係で分布しています。学校では様々な異学年の交流を仕組みます。でも、正直うまくいっているとは思えません。端的な例が、集団登校です。多くの学校では、集団登校のいざこざで悩んでいます。誰も悪者がいないのです。高学年は、やんちゃな低学年をなんとかしようとします。でも、低学年は高学年が怖いと保護者に訴えるのです。

 そんな現状で、多くの学生さんは大学に進学します。では、学生さんは異学年と交流する機会があるでしょうか?部活では、前後3歳レベルの交流です。バイトで付き合うとしても上司として付き合う大人はいるかも知れませんが、同僚として付き合うのは同年代です。そして、教員養成系の学生さんのバイトの定番は、塾講師と家庭教師です。その場合は、上の年代とは付き合いませんね。

 教員採用の関係でボランティアを経験する学生さんは少なくありません。でも、その時間数は限定的です。そして、採用側が、そのような条件でOKをだしているのです。それ以上を求めるのは、聖職論です。繰り返しますが、教職にスーパーマンを求めても実りが多いとは思いません。

 さて、採用されてからの現状はどうでしょうか?十数年前には少子化の影響で、採用が極端に減らされました。ところが、最近は、少人数指導や大量退職の影響で、採用が急激に増えています。結果として、学校現場の年齢バランスはフタコブラクダになっています。結果として、採用直後の学生さんは、今までまったく同僚として付き合ったことのない、十歳以上の人と同僚と付き合うことになります。逆に、今、三十代後半の方は、採用以来ずっと自分が最年少で、若い世代と付き合って仕事したことがないという人は少なくないのです。もっと計画的な採用計画が必要だったかも知れませんが、厳しい予算状況の中でしようがなかった部分は多いと思います。

 現状の欠点をあげつらってもしようがありません。だから、それを補完する意味で、上越教育大学の教職大学院は臨床力と共に協働力を柱としています。具体的には、二十代全般の若い院生さんと、三十代後半(四十代)の現職派遣院生さんが、同じ院生として学び問題解決するという経験を2年間、組織的にやろうとしているのです。

 という、なが~い背景の元に『教師教育を良くしようとすると、直ぐ、授業数を増やそうとする。小学校教師になろうとする人に高等数学を学ばせるより、違った年代の人と話す経験を与えた方が良いと思う。上越教育大学の教職大学院は、その考えで設計されている。』とポストした次第です。

 つまり、有限の教員養成の時間の中で選択した、一つの姿というものです。別な選択があっても、もちろんOKだと思います。

{大事なこと]ズレ 08:34 {大事なこと]ズレ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - {大事なこと]ズレ - 西川純のメモ {大事なこと]ズレ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本の本州あたりは7月20日あたりから8月いっぱいが夏休みで、12月24日あたり~1月6日までが冬休みのところが多いと思います。でも、北海道の夏休みは8月半ばまでで、逆に、冬休みは1月20日あたりまでです。こんなズレが長野とか、四国とか、九州にもあります。これを利用すべきです。つまり、他県の『学び合い』を参観するにはベストなんです。この悪巧みをみなさんしましょう!