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2010-04-11

[]よくある疑問 19:25 よくある疑問 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - よくある疑問 - 西川純のメモ よくある疑問 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ネットサーフィンをしたら、ある方が『学び合い』をすると「「教える子」と「教えてもらう子」が固定することはないのか。”ぼくはいつでも教えてもらう方”と感じる子はないのか。」と心配されていました。典型的な疑問の一つなのでアップすることにしました。

 『学び合い』のように教え/教えられる時間を設けると、「教えられるばっかりの子供が生まれてしまうのではないか?」と不安になる方もおられます。でも、『学び合い』ではそのようなことが問題になりません。

 第一に、「教えられるばっかりの子供が生まれてしまうのではないか?」が何故問題なのでしょうか?多くの方には当たり前すぎますが、「そうなると、教えてられるばっかりの子が嫌な思いをする」と考えるからです。でも、考えてください。なぜ、教えられるばかりだと嫌な気持ちになるのでしょうか?それは、「教えられる方は偉くて、教えられる方は偉くない」と子どもが思うからです。そして、それは「そのことを知っている人は偉くて、知らない人は偉くない」と思っているからです。でも、本当でしょうか?

 国語で漢字の書き順を学びます。でも、書き順が問題になるのは毛筆の時です。では、最近、毛筆で書いたことはいつですか?おそらく、祝儀・不祝儀の芳名帳に名前と住所を書くぐらいではないでしょうか?

 小学校の息子と九九の練習をして気づいたのですが、私は九九を覚えていません。というのは「二八 十六」は覚えているのですが「八二 十六」は思い出すのは苦労します。どうように、「五九 四十五」は覚えているのですが、「九五」はそれを「五九」に直して思い出します。おそらく、暗記嫌いだった私の覚え方だったのだと思います。が、私は国立大学の理学部に入学し、卒業しました。それに、最近、筆算で計算した人はどれだけいるでしょうか?私の場合は、二桁以上の計算の場合は、電卓でやりますし、それが無い場合は、コンピュータを立ち上げエクセルでやります。小学校の基礎でさえそうなんですから、推して知るべしです。少なくとも、それが出来るか出来ないかで人生が変わるようなものではありません。

 では、何故、子どもは、そんなことを知っている人は偉くて、知らない人は偉くないと思うのでしょうか?もっとわかりやすく言えば、だれが、そう思わせているのでしょうか?それは、教師です。だから、教師が知っているか知っていないかは人間の価値には関係ないと理解すれば、それは子どもに伝わります。『学び合い』では、何かを覚えるかを重視するのではなく、多様な人間と折り合いをつけて自らの課題を解決することが大事だと思っているのでそのようなことは起こりません。

 第一、教師がどんなにごまかそうとしても、人間には能力の差があります。それを誤魔化すのではなく、それを正当に受け入れられる子どもに育てるのが大事ですよね。大人の社会では、人の力を借りられる人の方が、知っているかより大事ですから。

 その前提を認めた上でですが、よほどのことがない限り、教えられる一方、または、教える一方というこはありません。ちなみに、これは学術データで保証されています。でも、多くの先生方には信じられません。だって、能力の高い子がいて、逆に、能力の低い子がいるのですから。ところが、『学び合い』の授業においては、圧倒的に能力の高い子が、圧倒的に能力の低い子から「教えてもらった」と思うことは普通に起こります。なぜなら、教師の考える「教える」と、子どもたちの考える「教える」は違うからです。

 教師の考える「教える」とは教科書的に正しい情報を伝えることです。ところが、子どもたちはそれのみではありません。たとえば、教科書的に正しい情報では「わからない」と能力的に低い子が言います。結果として、能力的に高い子は自分の知識を吟味し、加工するします。また、能力的に低い子が分かりかけるとき、「ということは、○○ってこと?」のように言い換えます。その言い換えた表現は、能力的に高い子にとって新鮮に、斬新に受け取られ、まさに「教えてもらった」と感じるのです。このような知識の加工は通り一遍の話し合い活動では生まれません。授業時間の大部分を子どもたちが互いに理解するために膨大な会話をすることを可能とする『学び合い』だから出来ることです。

 ということで、心配は無用です。むしろ、本当の『学び合い』になることに意を尽くすべきです。

[]民主主義 10:21 民主主義 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 民主主義 - 西川純のメモ 民主主義 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は民主主義がすばらしいと思っています。最高かはわかりませんが、現状で最善であると思います。そして、教育基本法第一条には「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育てることを求めているのですから、教員として給料をいただいている人は、すべて(大学人も)の人は責務です。

 私は、この民主主義を子どもに学ばせる場が専制的であることが反吐が出るほど嫌です。そして、ゴチャゴチャと理屈をつけて合理化しているのは、専制国家が民主主義と主張しているほど、姑息で偽善的なものを感じます。民主国会は無政府状態ではありません。法もあり、法の執行者もいます。法の執行者は、極論すれば人を死刑にする権限もあります。しかし、専制国家の独裁者とは違います。違いは、自らも法に縛られているからです。

 では、教室はどうでしょうか?教師は子どもたちに法を明示しているでしょうか?そして、その法は一貫しているでしょうか?残念ながら明文法ではありません。それでは子どもから見れば恣意的に写るでしょう。事実、恣意的な場合も少なくありません。

 『学び合い』では基本的な法は、いずれも短い学校観と子ども観だけです。あとのものはそこから導かれるものです。それで学校におけるありとあらゆることはこれで十分です。もちろん、その他の雑多のものもありますが、それも明文化すべきです。

 ちなみ、私の場合はゼミ生に対して求めることはすべてHPに公開しています。残念ながら、多くのクラスにおいては独裁者が民主国家の形成者を育成しようとしているのです。せいぜい啓蒙的専制君主に過ぎません。

 ちなみに現状の小中では難しいですが、私は学習者に選択する権利と義務を負わせるべきだと考えています。本当だったら、小中もです。民主国家は法の執行者を選択する権利を有しています。だから、子ども(保護者)は教師を選ぶ権利を有するべきだと思います。同時に、そこから生まれる結果に関して、責任を負わなければならないと思います。

 私が大学人として過ごした23年間で一貫して戦い続けたことは、学生さんの選択の権利の保障です。一人の人が全学必修科目を担当すれば、よほどの意志の力がなければ腐敗します。教員が研究室の配属を決め、移動を認めなかったら。よほどの意志の力がなければ腐敗します。そして、その腐敗は学生さんの側だけではなく、教員の側(つまり、私自身)にも及びます。そして、革命(たとえば、保護者からのクレームの嵐、学生さんの反乱)が起こります。

 子どもに多様な情報が流れ、教師の間に協働が成り立っていれば、単なる人気投票にはならないと確信しています。だから、我が事ととして戦っています。

 同志のメモ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20100410)に触発されて。

[]花見 07:36 花見 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 花見 - 西川純のメモ 花見 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一昨日、地元の高田公園が開花しました。昨日、家族で夜桜見物をしました。飲み過ぎたせいか、息子の添い寝のまま爆睡してしまいました。

[]学級崩壊 07:38 学級崩壊 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学級崩壊 - 西川純のメモ 学級崩壊 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 8日に学級崩壊についてメモを書きました。それに対してコメントをいただきました。私のメモより、コメントの方が意味あります。http://bit.ly/bqOGj0