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2010-05-14

[]原因はどっち? 08:38 原因はどっち? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 原因はどっち? - 西川純のメモ 原因はどっち? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 朝の番組を見たら、ゆとり世代の新入社員教育を取り上げていた。基本的に最近の若者はひ弱で駄目だから、それに対応した教育が必要だという枠組み。でも、大学教師の経験から言えば、若い世代の問題ではなく、どちらかと言えば中堅世代の問題だと思う。

 私の務めている上越教育大学は極めて希な大学で、全国から中堅教師が現職派遣院生として入学する。私のゼミには20歳から40歳の人たちが所属する。大学教師として23年間務めたが、その間、若い学生さんが変化したと感じたことは無い。私が大学生・大学院生だった頃と同じ、愚かさと賢さを持っている。自分の過去を思い出させるようなことをやらかし苦笑するし、今の自分には出来ない素晴らしいことをやり、自分の年を感じるだけのこと。人間は変わらんな、と思う。

 一方、現職派遣の人の方が変わったように感じる。昔の現職院生さんに比べると、若い学生さんとのいざこざを起こす頻度が多いように感じます。一言で言えば、大人を感じず、悪しき部活の先輩の対応を若い人たちにしている。もちろん、昔であってもそういう人はいました。ただ、現在は大人の対応で若い人と接する人が少なくなっているように感じます。だから、私がゼミ運営で力を注ぐのは若い学生さんよりも、現職院生さんの方。そして、大事にしているのは、若い学生さんが有能であり、その力を活用することは有利であることを伝えることです。そのことを理解していないと、若い世代をバカにします。そんなバカにして、自分の考えを一方的に押しつけられたら、どんな人だって関係を絶ちたくなります。(具体的には飲みにケーションにつきあわない等)今やっている新人教育は、そんな愚かな中堅であってもつきあえる賢い新人を育てているように思えるのです。

 私の世代だって新人は未熟だった、でも、その未熟な新人を戦力にしなければ自分たちに跳ね返ってくることを中堅は知っていたのだと思います。なにより、ライバル関係の直接無い年齢の離れた人の方が、楽しく話せることを知っていたのです。

 どんな職場でも、その職に必要な知識・技能は先輩から学ぶものです。その関係がうまくいかないのは、若い世代だと思われている。でも、考えて下さい。関係を結ぶか否かの影響力に関して、中堅と若手とどちらがあるでしょうか?中堅に決まっています。

追伸 このあたりは「忙しいを誰も言わない学校」(東洋館出版社)にデータを載せています。そこでは、我がゼミでの会話の変化が、年長者が若年者の能力を評価することによって変化し、それによってゼミでの会話が変化する過程を載せています。

追伸2 で、でも、若い学生さんに違和感を感じることは、実は3つあります。三つとも、私の愚かしさだと理解していることですが。第一は、飲み会で日本酒やビールを飲まず、カシスミルクみたいなカクテルを男子学生が頼むとき。第二は、男子学生が床屋ではなく美容院に行くとき。第三は、大学の家庭科コースに男子学生が所属していること。旧世代の愚かしさです。

[]癒 06:36 癒 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 癒 - 西川純のメモ 癒 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある同志から以下のメールが来ました。最後の一文が特に心に響きました。

『今日は、大きく子どもたちが動いて、とてもどきどきした1日でした。

 時間内に課題が終わらなかった子たちが、休み時間も自然とやり続ける感じまではきていたのですが、授業中の関わり合いがまだまだ。「全員」がめあてだよ!と何度声をかけても、あまり動けない。だから、終われないのになあ…と残念に思っていたのですが。

 今日は、時間内に全員が終わらなかったにしろ、いままで最初に課題達成する子がでるまでおしゃべりにふけり、グループ内に活動がとどまり、私に質問に来て、表面だけを繕っていろいろと面倒くさいと言っていたような子達が、授業の最初から別のグループの子を呼んだり、あーでもないこーでもないという練り合いをやっていたり。

 テストが終わった後に、疲れた様子もなく、あれはこーだから、こーなるはずじゃない?でも…などと、先生の本で読んだような会話が休み時間あちこちから聞こえてくるのに、本当にびっくりしました。

 差別的発言をよくする子が、仲良し学級所属の子に積極的に関わっていたり…。いつもは、シャツをきちんと入れるよう言っても知らんぷりの子がシャツを入れてくれたり。

 また、家庭科の調理実習班決めで、調理台が6台しかないので、6班以内で分かれて欲しい、とお願いしたところ、1時間かかって、最後も力の強い子達が押し切る強引さは残りましたが、この1時間、決して無駄じゃなかったと思える子どもたちの姿を見ることができました。納得いくまで、遊びに入っている子達が入れ替わり立ち替わり戻ってきては話し合っていました。私は、話し合いの輪が大きくなったり小さくなったりしながら、よりよい方向へとちょっとずつなっていくのを、とても不思議な気持ちで見ていました。そして、やっぱり平等であることが一番誰にとっても心地よいのだと、きっと気づいていけるだろうなあという手応えを感じました。

 それから、『学び合い』をするには、私自身を癒すことがとても大事なんだな〜と、思いました。担任の重要な仕事に、「自分を癒すこと」を入れるべきじゃないかと思ったくらいです。』