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2010-05-24

[]自分のため 06:22 自分のため - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自分のため - 西川純のメモ 自分のため - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』では一人も見捨てない、ということを大事にします。でも、それは可愛そうだからではありません。自分のためです。残念ながら、福祉や国際協力や地方活性化ではそれが分かっていないと感じることが多いです。可愛そうでは、出来るのはごく限られます。

 私は大学教師としてかなりのゼミ生を修了・卒業させました。その多くは、学会誌論文に掲載される論文を書き上げました。地方国立大学の教員養成系学部の教師としてはトップレベルだと自負しています。もちろん、入ってくるゼミ生の中は様々です。でも、『学び合い』だからこそ、上記を実現しています。『学び合い』なのですから、一人も見捨てないを大事にしています。それは学術的な裏付けがあります。かつて、以下のような研究をして論文にまとめました。ある中学校で『学び合い』の授業をしました。その結果、一部のグループが崩壊しました。その崩壊の過程を分析したのです。結果はだいたい以下の通りです。

 だいたい1ヶ月は仲良く協力し合います。でも、それを超えたあたりから、リーダー格の子どもが相対的に能力の低い子どもにイライラし始めるのです。だって、その子の存在によって班のパフォーマンスが下がるからです。最初は「いやみ」程度が、徐々にはっきりとした「非難」に変わります。そして、周りの子どもも同調します。その次は、仕事の分離をし始めます。つまり、「あなたはここをやってね」と言い渡し、自分たちの仕事に悪影響が出ないようにします。このような中で、阻害されている子どもはいたたまれなくなり、違った班に逃げ出します。さて、ここからが興味深いのです。相対的に能力の低い子がいなく無くなったのですから、残りの子どもは邪魔されるに作業が出来るはずです。が、阻害された子がいなくなったとたんに、阻害されていない子どもも、別な班に逃げ出します。そしてリーダー格の子どもだけが残るのです。おそらく、次は自分に攻撃がくると思って逃げたのでしょう。

 崩壊しない班の場合は、リーダー格の子どもが最後まで相対的に能力の低い子どもを支え続けていました。ただし、それをリーダー格の子どもの特質に求めるのは『学び合い』の作法ではありません。大きな違いは、リーダー格以外の子どもの行動です。前者の班は、リーダー格の子どもに全部お任せなんです。ところが、後者の班は、サポート量は少ないですが、リーダー格の子ども以外の子もサポートしているのです。つまり、班全体で相対的に能力の低い子をサポートしているのです。だから、リーダー格の子どもが「何で私だけが」とイライラしないですむわけです。つまり、みんなが、みんなを、という『学び合い』が成立していたわけです。

 この研究があるので、我がゼミでは、自分の身を守るためには一人も見捨てないということが大事であることは分かっています。が、そう努力するのですが、どうしようもない子もまれにいます。我がゼミにも23年間の中で一人だけいました。詳細は割愛しますが、モンスターレベルです。そして、その子は「私が大好き」なんです。おそらく、家庭的に問題のあるその子は、私に親代わりを求めているのだと思います。ゼミ全体で何とかその子をしようとしました、がどうしようもありません。先のことを知っているので、西川ゼミ、そして自分のために必死になっていました。しかし、私は教師として判断し、その子を他のゼミに異動させました。ゼミ生全員は「それは『学び合い』ではない」と訴えました。私は涙を流しながら感謝しました。が、「これは私の判断でしました」と言い渡しました。

 正直、私は怖かった。かつての研究成果の示すようなゼミの崩壊が起こるのではないかと。それはゼミ生も同じだったと思います。が、何事もなかった。いや、その年度の成果は素晴らしいものでした。つまり、個人を切る、切らないが重要なのではなく、それに至るまでに集団が何をし、何をしなかったが大事なのです。そして、折り合いをつけた最善をしえたか集団が納得したかが大事なのです。

 福祉も国際協力も地方活性化も、自分たちにとって意味あること、逆に言えば、それを安易に切れば自分たちに戻ってくること、それを国民がみんな知るべきです。そこには政治が大事です。『学び合い』が成立するか否かは、管理者がそれを宣言するか、否かが大事です。いや、もっと大事なのは、管理者がそれを本当に信じれるか、否かが大事です。

 が、百年河清を待つわけにはいきません。まずは教室で、その意味を理解できる子どもを育てねば。