■ [ゼミ]まだ見ていない
本日、4月下旬にゼミに所属したゼミ生と話しました。そのゼミ生は「『学び合い』の実践校の子どもたちの姿を見せてもらいましたが、いきなりあの姿を見ても、正直信じられません。『学び合い』でない子どもが、どのように変化するかというものを見ないと納得できないです」と言いました。(4月中旬に上越の『学び合い』実践校の授業を参観しました)
私は大笑いして、「君は既に、見ているよ」と言いましたがポカンとしていました。そこで以下のように語りました。
私:ゼミを思い出しな。現職院生さんたちと大笑いしながら、いつまでも建設的な議論し続けられるだろ。あれが普通か?
ゼミ生:(首を振る)別なゼミ生が、このゼミ自体が『学び合い』なんだと教える。
私:あれを実現するまでどれくらいかかった?
ゼミ生:1ヶ月以下です。
私:ゼミで私は何をしている、寝ているだけだろ。(私は全体ゼミでは何もしゃべらず、じっと横で寝ています。正確には、彼らの会話を音を聞いています。それで、健全か否かを判断できます)
ゼミ生:(頷く)
私:でも、所々で説教しただろ。よからぬ方向に行くと私は説教をする。修士2年は私が何を良しとして、何を許さないかを知っている。だから『学び合い』が成立するんだ。君は十分に『学び合い』の成立過程を見ているだろ。
毎年のことですが、『学び合い』の中にいると、それがあまりにも自然なので気づかないのです。ゼミ生にとって私はたまに真面目な話をするが、だいたいは馬鹿な話をするおっさんです。でも、それが『学び合い』における教師の姿の一つなのです。