お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2010-05-27

[]みんなだけで良いの? 09:29 みんなだけで良いの? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - みんなだけで良いの? - 西川純のメモ みんなだけで良いの? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は『学び合い』の同志の中でも、最も極端と言われることを信じています。それは、『学び合い』の学校観と子ども観を信じ、それに基づいて「みんな」を求めていけば授業は成立するという考えです。でも、大抵の同志は、「教材がポイントだ」、「可視化が必要だ」、「○○法の併用も有効だ」と思っていらっしゃる。ま、当然です。不遜ながら「ま、『学び合い』の考えが分かっていれば、それらはどうでもいいことは、いずれは分かる」と最近は思っています。

 が、同志のメモ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/takami_swc/20100526/1274882341)を見ながら、書きたくなりました。

 まず、「みんな」を求めることは教師の責務です。我々の仕事は、指導要領に規定されていることを「国民全員」に習得させることなのですから。で、自分でそれができるなら、どうぞ。でも、できるわけ無い。なれば、みんなに「みんな」を求めるのは当然のことです。

 次に、「それだけでいいか?」ということです。もし、「みんな」を求める以上のことが出来るならどうぞ。これは、よくある「『学び合い』を成立させるためには、基礎的な教師と子ども、子ども同士の人間関係が必要。だから、それを成立させてから」という誤解と同じです。そんな人間関係を『学び合い』以上に成立させる道があるならどうぞ。そして、そんなことが出来るならば、『学び合い』をずっと、永遠にする必要はありません。でも、それが無いから『学び合い』なのです。理由は簡単です。先と同様に、自分で出来るならばどうぞ。でも、出来ないなら、みんなに「みんな」を求めるのは当然のことです。

 無限に時間があり、無限の資源があるならば、併用すればいい場合もあります。が、資源も時間も有限です。あるものに使えば、『学び合い』への資源配分は減ります。理の当然です。

もちろん、併用することによって相乗効果が期待されるならばどうぞ。でも、無いでしょうね。だって、「教材がポイントだ」、「可視化が必要だ」、「○○法の併用も有効だ」等は、全て子どもの能力を信じていない、その割には教師の能力を信じているから生じる発想です。その発想があるならば、いつのまにか『学び合い』もどきになる危険性をはらんでいるのです。もちろん、その事を分かった上で、自分の未熟さや学校の諸事情で併用するのはOKです(このあたりは従来指導型『学び合い』の手引きに書きました)。

ところが、「みんな」を求めることは、『学び合い』の考えと矛盾せず、相乗効果が期待できるのは何故でしょうか?

「学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」というのが学校観です。「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を達成する」ことを達成するためには、互いに「得」でなければ成立しません。つまり、道徳の徳目ではなく、自分の利害に一致することを納得させなければなりません。

血縁のない個体同志での利他行動が見られます。ある時に利他行動をすることが、別なときに自らが利他行動を受けるならば、互いにメリットがあります。しかし、この互恵的利他行動が成り立つには、だれに何回、どのような利他行動をして、逆に、だれから何回、どのような利他行動を受けたか記憶していなければなりません。これには、個体識別をしなければならないし、記憶容量も必要です。これが大変だから、多くの教室では小さい集団を形成し、自分が損しないような計算をしているのです。でも、それでは多様で多数な人と繋がることが出来ないし、結果として達成度が低い。だから、人類の歴史の中では集団の新たな契約を結びました。すなわち、契約-分け合うという合意-を結んだのです。この契約では、この契約を結んだ間では無条件(まあ、正確には折り合いをつけて)に利他的行動をするのです。この場合には、なにをあげて、なにをもらったか、それがいつだったかなどを覚えておく必要はなく、記憶に負担がかかりません。それ故、かなり大きな集団の互恵行動が期待できるのです。

つまり、多くの個体によって形成されている集団において「学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」を成立するためには、「みんな」が最も効率の良い契約なのです。最初の語りでは、「人に教え手もらうと分かる」とか「人に教えると自分が分かる」のような個体間の損得勘定に訴えるような説明をします。でも、それでは一定以上の集団を学び合う関係にすることは出来ないですし、一部を排斥する集団になってしまいます。だから、『学び合い』の中で、人類が数百万年の中で形成した「みんな」という戦略を追体験するのです。

なお、「みんな」というものは、教師の責務である国民全員に一致します。当たり前です。現在の民主的国家は、この「みんな」という契約に基づく国家なのですから。その公僕たる教師の求めるものと一致するに決まっています。

だから、「みんな」ということが『学び合い』の考えに矛盾無く、相乗効果を期待できるのです。