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2010-06-09

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 世の中には頭が下がる教師は少なくありません。全集を出すような教師ばかりではなく、ごく普通にいらっしゃいます。おそらく一つの学校にも、聖者じゃないかと思いたくなる人はいるものです。昔から教師は聖職と言われているのは、このような人たちの得のたまものであると思います。そして、もちろん、私はそのような方々の足もとにも及びません。そのことを、よく分かった上で、以下を書きます。つまり、以下で書く方の善意を理解しつつ、その問題点を指摘します。そして、その問題点があっても、尊いことだと思います。でも、子どもや自分のために、その問題点を理解しつつ書きます。

 昨日、個人ゼミで学生と議論した中で、特別支援に関して『学び合い』と従来型との違いを説明しました。それは、「あなたは本当にその子の将来を幸せにすることに必ずつながることをやっていますか?」と問えば違いが分かります。『学び合い』は「はい」と応えられます。が、従来型は、戸惑うでしょう。あまりしつこく聞けば、それは喧嘩を売っていることになるでしょう。

 私が高校教師だったころを思い出します。まさに青春ドラマの教師をやっていました。子どものためにありとあらゆることをしました。当時は独身だったので、何でも出来ました。でも、分かっていました。私がどんなことをしたとしても、子どもたちの人生の先にあるものは、ごく普通の高校生の未来に比べて暗いものであることを。おそらく、そのうちの1、2割は犯罪方向に行くのではないかと危惧されること。私の出来ることは、最も単純な運動方程式を解けるようになるため、自作プリントを活用し、繰り返し、繰り返し教えること。もちろん多くの子どもは出来るようになります。中学校の時、オール1だった子ども、暴走族の子がそれを解けるようになり、物理を集中して15分程度は聞けるようになれば、「やった」と思えます。でも、それが出来たからといって、彼らの人生が明るくなるとは思えません。でも、「自分に出来ることは、彼らのほっと出来る時間を、週4時間与えることなんだ。」と思い、エンターテナー性の高い授業をしていました。

 おそらく、多くの聖者のような教師も、そのような思いを持っているのではないでしょうか?自分の努力で何とか出来るほどの生やさしいものではないことをよく理解しています。しかし、だからといって諦めるのではなく、もっと、もっと、と自分に鞭を打っているのだと思います。

 一方、『学び合い』の場合ならば、「子どもたちの幸せを保証している」と言えるはずです。今は言えない人も、それを感じているから頑張っていると思います。教師は子どもについて行って、上の学校や社会について行くことは出来ません。でも、彼ら全員に仲間という集団を与えることが出来ます。仲間は、上の学校、社会にもついて行けます。それさえあれば辛いことも乗り越えることが出来ます。

 部活を中心とした青春ドラマは数多くあります。それらの主人公で合る教師は、部の生徒には仲間を与えることは出来たでしょう。でも、彼らは部の顧問である以前に、数百人の子どもの教師であるはずです。だから彼らの仕事は数百人の子ども全員に仲間を与えるべきです。『学び合い』ならそれが出来ます。

 私の不徳から、尊敬すべき多くの教師から『学び合い』は蛇蝎のように嫌われることがあります。でも、そのような人に分かって欲しいと願います。そのような方が心の中で封印している、出来ないと思っていること、それは出来るのです。