■ [大事なこと]学術
ネットで公開している『学び合い』の手引き書や、今度でる『学び合い』スタートブックを改めて読み直しています。自分の文章を読むと、本当に良いこと書いていると思います。自分でそれを書いたとはとても思えないのです。
今私はパンツ一張になって家内の夕食で晩酌することを待っているおっさんです。どう考えても、私があの言葉を紡いだ人間だとは自分では思えません。何でだろう・・・、としばらく考えました。
分かりました。あれは徹頭徹尾、学術研究に基づくものだからです。つまり、私という存在を越えて自然の法則に基づくものだからです。それを学術を通して、私はのぞき見しているようなものです。学術研究は偉大だと思いました。
■ [親ばか]スタートブック
本日、新刊本の『学び合い』スタートブック(学陽書房)が届きました。ゲラよりも、ずんとパワーアップしていました。それをざっと読んで、居間に置いて、大学に行ってちょっと仕事しました。家に帰ったら小学校4年の息子がその本を読んでいました。見ると、既に五十数ページを読んでいました。「面白い?」と聞くと、「うん、面白い」と言いながら、一心に読んでいます。ビックリです。
我が息子は平均的な小学校4年生ではありません。が、読みやすい本であるという最高の証拠ですよね。あははは
■ [大事なこと]教師の覚悟
『学び合い』は簡単です。だって、教材の力も話術も「とりあえず」無くても大丈夫です。でも、覚悟は必要です。そして信念が必要です。
現状の教室は奴隷を生産しています。学習規律という美名はついていますが、「分かろうが分かるまいが、黙って先生の話を聞き、それをノートにとる」というのは、どこかの国の指導者の話を、数百人が必死にノートにとっている姿によく似ていると思いませんか?民主国家にも権力があり、個人の自由が制限される場合があります。でも、その権力の行使は最低限です。一日6時間、週5日間、学習規律が求められるのは権力の乱用です。そして、納得できない場合は、そのことに疑問を表明し、訴えることが可能です。それが通るかは別として、それを訴えることは正当な権利であり、それによって不利益を生じることがありません。
奴隷には説明は必要ありません。ただ命令すれば良いだけです。そして、疑問もましてや反論もあり得ません。楽です。でも、奴隷は奴隷です。その達成度は低いものです。しかし、『学び合い』では奴隷を生産しません。民主社会の市民を育成しています。権利と義務を与えられます。あらゆる場面で判断を求められ、その結果の責任を問われます。それが毎日続きます。当然、疑問や反論があるでしょう。それに応えることが教師に求められる。これが奴隷に命令したご主人様には大変です。でも、民主国家の教師は奴隷を生産してはいけない。我々の仕事は「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育てることです。決して学習規律という美名で飾られた「分かろうが分かるまいが、黙って先生の話を聞き、それをノートにとる」を子どもに求めてはいけないと思います。