■ [大事なこと]『学び合い』は簡単か?
私は『学び合い』は簡単だと明言し、何度も書いています。でも、『学び合い』にも必要とされることはあります。では、何故。それは従来の授業で一定レベルを達成するにはどれだけ大変かをよく知っているからです。私は暴走族に物理をはじめとする理科を教えることをしました。
私の教え子は、分からないことを実に、明確に出します。漫才師の修業に最適なのはストリップ小屋の前説といいますが、あれです。話術もいります。教材の力もいります。信念・確信もいります。それを獲得し、毎日、一定レベルを維持するには、どれほど大変か。
聞く構えのある子どもを教える人は山ほどいます。でも、聞く構えのない子どもを聞く気にさせる力量のある教師がどれだけいるか?と不遜ながら思います。教育実践界で令名知れ渡る人も、私は私の教え子を想定して聞きくと?です。
で、従来の授業で必要とされることと『学び合い』で必要とされることを比較すれば、圧倒的に『学び合い』で必要とされることは少ない。私の知る限り、従来の授業が教師にとって良いこと、それは、ひどい授業をしてもわかりにくい、ということだけです。
つまり簡単に言えば、『学び合い』にも必要なことがあるが、そりゃ一斉指導の方でも必要なこと。そして、本当は一斉指導でも天才的な人だけがそれのレベルを達成できる。でも、『学び合い』はそこまで必要はない。だって、みんなでやっているから。
■ [親ばか]新津
本日は鉄道ファンの聖地である新津に行きました。新津車両製作所は全JRで唯一の車両をつくっているところです。鉄道ファンの息子の要望により片道2時間で行きました。大満足だそうです。よかった。
■ [大事なこと]英文
以前に『学び合い』を英文でどう書くのかを聞かれました。実は私も悩みました。というのは、子どもたち同士の関わりを中心に下学習は山ほど有り、それぞれに訳文があります。が、『学び合い』は全く違います。どうするか悩みました。結局、「寿司」や「醤油」のように特有なものは、それ自体を使うことにしました。ということでmanabiaiとしました。よろしくお願いします。
それをオープンにしていないことに気づき、あわててアップします。
■ [ゼミ]手をかける
私が大学教師として研究室運営をするのは二十数年です。まあ、学校の担任みたいなものです。でも、今年のゼミは今までで一番手がかかると思いました。OB・OGの方だったら以下を言えば分かると思います。まず、全体ゼミに私が出席しています。それもほぼ毎回。そして、2回に1回は説教をしています。10月の今の段階でも個人ゼミを「ちゃん」としています。おそらく非西川ゼミ出身者だったら「おいおい、そりゃ当たり前だろ」という突っ込みが入りそうですね。でも、数年前だったら、私が全体ゼミに出席するのは最初と最後だけです。個人ゼミも修士1年・学部3年の最初の半年はしっかりやりますが、それ以降は学生さんの必要に応じての不定期です。ま、放牧みたいなものです。それで問題なく動いていました。まさに『学び合い』のセオリー通りです。
もちろん『学び合い』ですので、達成すべき目的を語り、方法は任せるという基本方針は変わりません。でも、この達成すべき目的を語る回数が例年に比べると異常に多いのです。何故だろう、と、ふと考えました。そして分かりました、今年のゼミは「手がかかる」のではなく、「手をかけている」のだと。
今年のゼミでは、「日本を変える」ことを全員に絶対条件として求めています。そこが違います。もちろん、今までも西川ゼミの活動は日本を変える素晴らしいことを実現していることを語っています。そして、個々人の達成したものが日本を変えることにどのように影響を与えるかを分析して語っていました。私は愚かにも、そのことが「日本を変えることを全員に絶対条件として求める」こととニアリーイコールであると考えていました。でも、違う。以前の私が学生さんに求めているのは「努力目標」であるのに対して、私は「絶対条件」として求めているのですから。あらためて考えれば、もの凄いことを求めているのです。
私にとっては歴代のゼミ生は日本を変えていることに関して、疑いはありません。事実、学生さんが成した成果で、どれだけの成果が上がっているかは、私は十分すぎるほど知っています。だから、絶対条件で求めてもたいしたことだとは無いと考えていました。でも、それを求められた学生さんがビックリするのは当然ですね。そこで、日本を変えることとは、もの凄いことをすることを求めているのではなく、日本を変えることを願って、自分のやっている毎日のことが日本を変えることに繋がることをイメージできることだと語りました。また、日々の活動が日本を「本当」に変えていることを実感できる場を提供することに意を尽くしました。そして、それが意味あることであることを語りました。考えてみれば、この時間が必要なので私の語りが長くなっているのだと思います。そして、今、ゼミがバージョンアップしているのだと思います。例えてみれば、ウインドウズのサービスパックのバージョンアップではなく、MS-DOSがウインドウズに変化するレベルで変化しているのです。これだけのことがあるのですから、様々なゴタゴタがあるのは当然です。ゴタゴタを通して、サービスパックを今つくっているのだと思います。
今、色々なことがゼミで起こっています。いくつかの例を紹介します。
●突然学会発表をしたら、と言ったら、それを受けて、十日程度でかなり高いレベルの原稿を書き上げている。(かなり名の通った大学の院生の原稿を読んだり、発表を聞いたりしますが、明らかに我がゼミ生のレベルは相対的にかなり高い。私自身は細かい指導をしていないのに。)
●支援校への支援のことで、安心して任せられる。(やりたい、と願っている方への支援は比較的簡単です。「私」でも出来る。問題は、迷いのある方への支援です。こりゃ私は出来ません。でも、ゼミ生たちは出来ます。)
●私と無関係で、日本を変えることであると、第三者でも理解できるレベルのことを企画し、考えている。(ちょっと怖いぐらいです。)
このまま勢いが増したら、管理者の私が制御不能になります。急流下りでは、その急流以上の速度で漕がねばコントロールできなくなります。私もバージョンアップせねば。