■ [お誘い]高知

11月6日に高知で『学び合い』の会を開きます。高知では少人数僻地校での実践を例に、地域コミュニティの形成のことを話そうと思います。http://bit.ly/d8Dcmq
■ [お誘い]岡山

11月7日に岡山で『学び合い』の会を開きます。話す内容は、特別支援の話をするか、初心者の『学び合い』について話すか、迷っているところです。今年最後の講演です。(http://bit.ly/9PJDIt)。
■ [大事なこと]ギャップ2

以下のメモを補足します。
私は教師の幸せに占める「教え子・教室」が占める割合を8分の1以上にすべきだとは絶対に思いません。それでいいのです。要は、8分の1の教師でも出来るためには、一人で抱えるべきではないと思っています。教師より、数倍重要な意味を持つ子どもたちと一緒にやらねば。
■ [大事なこと]ギャップ

今日のゼミで、教師に何故なったか?ということが話に出ました。学生さんは色々と言いましたが、私は違う、と言いました。多くの教師が教師を選ぶ理由、それは、「地元で就職できる安定した比較的高い収入をえら得られる職業」だからです。この不況においては、おそらく地方では唯一とも言える場合は少なくない。でも、それは否定するつもりはありません。
バーナード・ショウは、就職できれば人生の悩みは半分解決する、と言っています。実感としても正しいように思います。なにはさておき、食べることと、寝ることの確保は基本です。就職すれば、それが確保できます。また、就職すれば、その職業における人生設計が定まります。例えば、○○歳までに○○を行い、○○歳には○○になり・・という目標が定まります。就職すると言うことは、選択の幅が狭まることですが、それは、悩まなくなるということを意味しています。
就職すれば人生の悩みの半分が解決するならば、残りの半分は何かといえば、その半分(即ち人生の悩みの四分の1)は結婚だと思います。残りの四分の一の半分(即ち人生の悩みの八分の一)は子どもを授かることだとおもいます。即ち、何はともあれ一生をかける職業と伴侶を得て、子どもを授かったならば、人生の悩みは八分の七は解決するように思います。私は子どもが授かったとき、「これで私の望みの大半はかなわれた、あとは、授かった妻と子どもと仲良く・健康にくらせるならば、後の望みはどうでもいい」と思いました。それ以降、私の社会生活・職業生活に関わることで神仏に願ったことは一度もありません。それらは「人の営みの範囲」と考えています。願うのは家族と健康だけです。
私の人生の意味は何だろう、と悩む人がいますが、私にとっては明確です。それは、自分の子孫を残すこと、です。我々に快・不快があるのは何故かと言えば、生きて、子孫を残すという生物の最も基本的なことに向かわせているに他ならないと思います。もちろん、人類であれば一生つきあえる人が伴侶である必要性はないかも知れません。残すものはDNAではなく、何らかの作品であったり、他の人のDNAかもしれません。でも、我々の幸せは、他のホモサピエンスと共に生きて、ホモサピエンスに意味のあるものを残すことだと思っています。ということで、多くの教師の幸せの圧倒的大多数は、授業以外のことであるのだと思います。授業のことは、せいぜい8分の1を占めるに過ぎません。これは私も同じです。私が最も大事にしていること、それは「家族仲良く健康で」です。
では、子どもにとっての学校はどれだけの意味を持っているでしょうか?明らかに教師の8分の1よりは大きい。家庭的に恵まれない子どもの場合、もしかしたら幸せのほぼ全てを占めているかも知れません。このギャップが、子どもにとって不幸だと思いました。