■ [大事なこと]些事は些事にあらず
ゼミ生に些事は些事ではないことを分かってもらうために、色々な話をします。例えば、若い男子学生には以下のように語ります。
「君が彼女と付き合ったいきさつを人に話すとしたら、それなりに話すだろう。それは嘘ではないが、事実ではない。君は彼女とのエピソードの中で分かりやすい事実を選び、配列し、分かりやすい物語を作るだろう。しかし、彼女が君を本当に好ましいと思ったのは、君すらも忘れてしまったこと、いや、意識もしなかった膨大な言動の積み上げの中で出来上がったものだ。その中で、一貫しているもの、それは、その彼女が好きで、付き合いたいし、つきあい続けたいという願いだと思う。彼女それを通して君の心を見取るものだ」
私の毎日やっていること、整理してみれば、些事だらけです。でも、その些事を常に一定以上の質でやり続けることがどれほどのことが出来るかを知っています。例えば、現在、関西で『学び合い』が広がっていること、そもそもは土日に合いたいという見ず知らずの学生さんのために2時間話したことが発端です。そして、神奈川の人たちに広がったのも、若い学生さんに誠実に対応したことが繋がっています。宮城に広がったのだって、『学び合い』の会で話かけられた方との会話がきっかけです。今では「そんなつもりではないですよ」と言われますが、その時は、『学び合い』に言いがかりをつけられたような感じを持ちました。でも、そうであっても誠実に説明し続けました。
これらの方々と話すことを「些事」というのは失礼ですが、しかし、エポックメーキングみたいなものではありません。どんな人でもやっている、人と会って話すということです。私は毎日、多くの見知らぬ方よりのメールをいただきます。そして、飛び込みで合いたいという方に合います。それらの方々の人数を積算すれば、年に千を超える人と会います。その方々のどなたにでも、時間をかけて、誠実に対応したつもりです。その毎日やっていることが、どれほどのことを生み出すかをよく知っています。だから、時間をかけて、誠実にしています。それが凡人が大事を成すただ一つの道ですから。
私はゼミ生に「日本を変えろ」と求めます。本日も、あるゼミ生に語りました。本気で願え。そして、自分で出来る多様なことを、無理のない範囲でやり続けること。そして、一人でやろうと思うな。同じ願いを持つ人と繋がって、自分の出来ないことを手伝ってもらえばいい。そして、それは徳目ではなく、自分のエゴイズムに繋がることを理解しなさいと。