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2010-11-19

[]一人も見捨てない 10:38 一人も見捨てない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一人も見捨てない - 西川純のメモ 一人も見捨てない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、ある同志から聞かれたことです。何度か書きましたが、アップします。

 その質問は「一人も見捨てない」と言っても無理ではないか?ということです。

 結論から言えば、そうです。が、「一人も見捨てない」と求め続けることは可能であり、それをすべきだと言うことです。少なくとも、「一人も見捨てない」ということを教師が求めること自体は、教師が踏ん張れば可能です。だって、自分の心なのですから。

 でも、しょうが無い場合はあります。

 例えば、集団の力を持ってしても支えきれない子どもの場合もあります。これは子どもの人数が少数の場合はそうなるでしょう。

 第二に、保護者(企業や大学など、成人の場合は当人)が拒否した場合です。法で規定される以上のことを求める場合、ご本人の同意が必要です。この場合は、異動の権利が無い場合(小中高)は教員が折り合いをつけるしかありません。異動の権利がある場合は、その集団を異動することです。

 「一人も見捨てない」ということは個に拘っているように見えます。しかし、そうではありません。もちろん、個に拘るウエットな気持ちは大事ですが、それのみではありません。我々が拘るのは、一人も見捨てない集団づくりに拘るのです。教師が安易に見捨てれば、集団が崩れます。

 仮に「教師が自分の集団から外す」という判断をした場合、その判断が妥当か、誤りかは、その決定をした後の集団の凝縮力に現れます。教師の判断が妥当か否かは、集団のメンバーがじっと見ています。そして、集団の判断はけっこう妥当です。