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2010-11-23

[]次 22:43 次 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 次 - 西川純のメモ 次 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一部のゼミ生さんより、私が元気を無くしていると見られたようです。で、原因は、わくわく感がないのです。

 私は研究者です。探検家と同じように、不可能というものにぶち当たって、それを乗り越えることによってアドレナリンが湧きます。が、最近、ふと私に何が残っているかと自問することがあります。研究業績は、論文も著書も学会賞も、おそらく、平均的な研究者の一生分の十倍以上はあります。職階も教授です。これ以上となると大学管理職ですが、魅力は全くありません。だって、私が現在達成しようとすることは日本を変えることなのですから。大学をどうこうすると言うことになんて魅力はない。

 多くの教師が悩むこと、研究者が分からないこと、これに対して、かなり事をを理論とデータによって語れるようになりました。理科教育学が私のもともとの専門ですが、ありとあらゆる教科に対して語れるようになりました。こんなになるとは、二十年前には想像もしませんでした。でも、当たり前です。『学び合い』という考え方を得れば、それは可能です。あたかも、中世において粒子論の考え方を持った科学者と同じです。最も大事なキーコンセプトを得ているかいないかは決定的です。

 不遜ながら、今の私に分からないことはありません。ま、教師一人で抱え込んでいる人が多い時代において、子どもと一緒にやればいい、と分かる人の差なのですから。私が偉いのではなく、馬鹿馬鹿しい囚われから解放されている凡夫なのです。

 今の状態は、私にとっては、詰むに決まっている詰め将棋をやっているようなものです。もちろん、詰むまでには色々な苦労や、紆余曲折があることは分かっています。でも、詰むと言うことは明白なのです。今私の頭の中で考えるのは、50手で詰むのを30手、25手で詰むにはどうしたらいいかを考えているのです。それに意味があることは十分に分かっています。現実の学級には苦しんでいる子がいて、そのことのためには、一分、一秒でも短くすべきです。でも、日本全国の同志の動き方を見るにつけ、私自身がどうのこうのというレベルをもうしばらくしたら脱することは明白です。いや、直近の西川ゼミの姿を見れば、もう、私の存在なんてちっぽけなものです。凄すぎるのです。

 そんなことはありません。今大変なんです。と思われる方も多いでしょう。でも、この数ヶ月、そして、この数年の動きを考えてください。その凄さは実感できるでしょう。現実の人と向き合い、それと立ち向かっている同志は大変です。私が分からないのは、その同志のために、私が何が出来るだろうか、ということが分からなくなってきたのです。今のままでも十分だと思います。でも、私は満足できません。

 私は今までどんな方にも誠意を持って対応してきました。誇りです。そして、今後もそれは続けます。が、全国の同志、そして西川ゼミのみなさんに、それを越えた何かを私が出来るだろうか、と。私はゼミ生に「日本を変えろ」と求めます。もちろん、彼らにそれを求められることはしている自負はあります。でも、その上の次元を求めて、次の課題を自らに求めるのが教師です。それを求めてゴチャゴチャとしているのです。

 直感があります。今までは課題を求めていました。でも、課題が私を捜し出しそうな気がします。

[]千葉の会 17:00 千葉の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 千葉の会 - 西川純のメモ 千葉の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 千葉の会の方より、以下の案内を頼まれました。お誘いします。

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 第2回『学び合い』千葉の会について、お知らせします。

日時:11月27日(土)13:00〜16:00 この日は大阪の会や山梨の会も開催されていますが、第1回から2ヶ月経ちますので、千葉でも行います。

場所:木更津工業高等専門学校

学び合い』に興味/関心がある方ならどなたでも歓迎します。いまのところ考えているのは、(もちろん参加される方々によっては、変更もありえます)

•模擬授業(数学、高専1年生の内容)

•参加者のみなさんの質問、疑問なんでもトーク

•今後の千葉の会へ向けての話し合い、あるいはフリートーク

 などを考えています。もちろん、参加されるみなさんで、「これやってほしいんだけど」などのアイデアがあれば、私宛(以下のアドレス)にメールしてください。申し込みは11月24日(水)までに、bbcsuzuki☆gmail.com(☆を@にかえてください。迷惑メール防止のため)へメールをお願いします。

千葉県内にも『学び合い』について語り合える場ができればと思っています。

[]本を忘るな 16:55 本を忘るな - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本を忘るな - 西川純のメモ 本を忘るな - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「西川流の『学び合い』ではなく、我が校の『学び合い』を目指そう」という方がいます。顔には出さないようにしていますが、ガッカリします。おそらく、その方は私が『学び合い』の手引き書で例示した方法が「西川流」なのでしょう。でも違います。『学び合い』は以下の『学び合い』の学校観と子ども観に凝縮されています。

「学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」であるという学校観。

「子どもたちは有能である」という子ども観。

授業観はその帰結です。さらに言えば、学校観も「学校」という限定を外せば、組織論であり、経営論であり、生き方とも言えます。

授業の形態はそこから導かれるものであり、現在も進歩しています。我々が初期に開発した授業の形態は、現在では従来指導型『学び合い』と私が言っているものです。しかし、そうであっても、その基礎となる学校観と子ども観は不動です。それ故に、従来指導型『学び合い』であって、『学び合い』型従来指導ではないのです。

私がこだわっているのは、考え方であって、方法ではないのです。

 茶道の千利休の利休百首の最後に以下の歌があります。

規矩作法守りつくして破るとも離るるとても本を忘るな

 「規矩作法」は影に過ぎません。「本」が本体です。私が手引き書で例示した方法はどんどん破って良いですし、離れて結構です。いや、それに関しては、西川ゼミが常に最先端を突っ走っていると自負しています。ドラッカーも述べているように、最先端を走っている企業は、自らの製品を否定し、乗り越えることが非常に効率の良い戦略です。その製品の長所・限界をもっとも知っているのは自分なのですから。ただし、「本」を忘れてはいけません。それは学校観や子ども観です。

 破り、離れても結構です。でも、何のために学校に来ていると子どもに語っているかを自問してください。そして、自らが破り、離れている原因は、実は子どもの能力を低く見るためではないかを自問してください。最後に、その破り、離れたことによって、一人も見捨てないという願いに応えているか自問してください。