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2010-11-29

[]家庭と学校 21:59 家庭と学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 家庭と学校 - 西川純のメモ 家庭と学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 保護者が、「うちの子どもはなかなか寝ません、先生が指導してください」と求めたら、教師はその保護者をバカ親と認定するでしょうね。そして、それは家でやって欲しい、と思うでしょうね。でも、教師は「宿題をちゃんとやるように家でちゃんと指導して欲しい」と求める教師は少なくない。そして、家庭と学校の連携という美名をあげる。

 でもそれだったら、家庭と学校の連携の美名のもとに、学校で早く寝るように指導しなければならなくなる。馬鹿馬鹿しい。結局、学校は何故行かなければならないかという学校観がハッキリしていないからぶれるのだと思う。

 『学び合い』の場合、学校の目的とは何かは発揮している。それは、「学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」です。つまり、他人とどのように関わるかを学ぶのが学校です。

 例えば、我が家では「挨拶」をとても重視してしつけています。でも、このことは親が教えるより、学校が教えた方がもっと有効だと私は思っています。親が教えても、子は甘えます。しかし、他人から学べば直ぐに学びます。でも、学校がちゃんとやらないので、我が家でやっているのです。

 例えば、おしめがなかなか外せなかった子どもが、保育園で「恥ずかしい」ということで直ぐに外せた例を知っています。要は、「恥ずかしい」ということを学ぶのは、他人との関わりの方が良いに決まっています。

 では家での担当は何か?それは、肉親とのつきあい方だと思います。つまり、「おりあい」をつけなくても決して見捨てられない関係を学ぶのです。学校で気を張って帰ったとき、安心できる時間を保証することです。

 学校では、その安心した時間を保証されていれば、その関係を維持・発展するには他人と折り合いをつけなければならないことを説明でき、その具体的な場を教科学習で実現できるのです。

 つまり、家庭か学校かと判断したら、それは他人と肉親のどちらに有効なのか?を考えればいいと思います。

追伸 残念ながら家庭でそれを保証されない子どもに対して、肉親には及ばないが、他人との関係の中で見捨てられない感覚を与えたいと思います。