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2011-01-02

[]『学びあい』 17:49 『学びあい』 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学びあい』 - 西川純のメモ 『学びあい』 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 正月早々、「朝日の1面見ました?」というメールが来てビックリ。二日に手に入れてみると「答えは対話の中」にとか、「教えずに教える」という内容、あれれと思いました。読んでいると、基本的に教師が一定の方法を強いる従来指導型のようです。印象としては、築地久子さんの実践に似ているな~っと思いました。この種の実践は、戦前より心ある実践者が様々に実践されたものです。例えば信濃の教育なども従来指導型で実現できる最高度のレベルに行った事例でしょう。この種の実践は実践者の力量が勝負です。事例としてあげられた方々は、スーパー教師なのだと思います。

 さて、その中で東大の佐藤先生のコメントの中に『学びあい』とあり、ちょっとビックリしました。二重カッコを使っているので我々の実践のことかな?と思いましたが、普通、我々は『学び合い』と書いて、『学びあい』と書いていません。微妙~です。しかし内容を読めば、無関係であることは歴然です。そのコメントは「・・・日本も、これまで取り入れてきたディベートや、わからない子に分かる子が教える『学びあい』ではなく、互いに考えを響き合わせ・・・」あります。「響き合わせ」という言葉は佐藤先生的で美しいな~っとおもいます。

 分からない子に分かる子が教えるというのは、いわゆるいままでの”学び合い”のことです。ま、ダブルコーテーションの代わりに二重カッコを使っただけのようです。ペア学習でもグループ学習でも・・・従来型の場合は、大抵は分かる子に分からない子が教えるという枠組みです。しかし、『学び合い』では全く違います。『学び合い』でも、『学び合い』を分からない人に説明しやすくするため、そのような枠組みで説明することがあります。でも、方便に過ぎません。事実は、そんな枠組みを想定しません。

 以前、『学び合い』における会話を分析し、教え手と学び手がどうなっているかを調べました。結果として、ずっと教え手である子や、ずっと学び手である子は殆どいません。多くの子どもは短い周期でコロコロ役割を変えています。さらに、勉強の出来る子が教えるという枠組みも取りません。1時間の授業の後に、この時間に誰に教えてもらったかを記入させました。そして、それぞれの成績の関係を調べました。多くの先生は勉強の出来る子が出来ない子を教えるという枠組みで理解します。しかし、『学び合い』においては逆も同時にあるのです。それもほぼ同頻度で。何故そのようなことが起こるのでしょうか?

 教師は教えるというのは、教科書的に正しいことを伝達する、ことを教えると理解します。これだったら勉強の出来る子しか教えることは出来ません。ところが、『学び合い』における子どもたちは、自分がより分かることに有益だった場合を教えてもらったと判断するのです。例えば、自分のあやふやな説明にダメ出しを出してくれるのも教えてもらったと判断します。また、説明を聞いていた子どもが「あ~・・、つまり、●●ってことね」と言い換えをしてくれた場合、その言い換えによって自分自身がより分かるようになった場合も教えてもらったと判断するのです。

 よく『学び合い』の話を聞いた先生の中には、「そんなことをしていたら、いつも教えてもらう子どもが劣等感を感じてしまうのではないか」と危惧されます。が、そんなことはありません。『学び合い』で学んでいる子どもが聞いたら笑い出すでしょう。でも、今までにその種の質問を子どもにぶつけたときの子どもの反応は「きょとん」としているのが圧倒的大多数です。『学び合い』の学校で研究会で子どもが 発表していたとき(これって『学び合い』だと出来ます)、あまりにちゃんと説明していたので、参観者より質問がありました。曰く「あなたは成績が良いから感じないと思うけど、教えてもらうばかりの子にとっては辛いんじゃない?」と質問したのです。その子はキョトンとして「僕は 成績は悪い方だけど、そんなになったことないよ」と言っていました。後ろで聞いていた私は笑いを押し殺すのに苦労しました。

 ということで、朝日新聞の記事は『学び合い』とは全く無関係です。