お問い合わせ  お問い合わせがありましたら、内容を明記し電子メールにてお問い合わせ下さい。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。             

2011-01-23

[]群馬の会 18:50 群馬の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 群馬の会 - 西川純のメモ 群馬の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 いよいよ来週です。http://bit.ly/hkLiXi

[]素直 10:14 素直 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 素直 - 西川純のメモ 素直 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生のブログを読みながら、ふと書きたくなりました。

 『学び合い』の手ほどきをしたり、メールでのお悩み相談をしたりしている時に感じるのは、「素直さ」が大事だと思います。これは、『学び合い』を学ぶことばかりではなく、あらゆる事を学び取ることに重要なことです。

 世の中には、前後の脈略無くても使えるものがあります。教師用の本もそうです。それがどんな考えに基づいており、他の教材とどのように関わるかを考えなくても、とりあえずコピーして子どもに渡せば使える教材があります。でも、本当はそんなものはあり得ないのです。あらゆる指導法や教材は、それ開発した人の考えがあり、前後の脈略があります。それを無視して適用すれば、効果は半減し、時には全くなくなります。それが、名人教師の指導案をそのまま実践しても、見事にひどい授業になるのはそれが原因です。ところが、残念ながら現状の実践における指導法や教材は、開発した当人が、自身の考えや前後の脈略を意識せずに開発したので、当然、伝わらないことがおこります。

 それ故に、『学び合い』では理論的に整理し、シンプルにまとめています。それが学校観であり、子ども観です。しかし、「観」は分かりづらい。なぜなら、我々は既存の枠組みで物事を理解するからです。従来の指導という枠組みの中で『学び合い』の「観」を理解しようとしても、無意識に書いてもいないことを加筆し、書いているのに削除し、変形してしまいます。例えば、『学び合い』で「みんな」と書いていても、無意識に「クラスの●●ちゃんは無理よね・・」と変形してしまうのです。

 だから、『学び合い』の手引き書では「観」のみならず、具体的な事例を紹介しています。事例は観の影でしかありません。しかし、事例は観よりは無意識の加除を受けづらい。そこに事例の意味があります。そこで例示される事例は、観に基づいて構成されています。『学び合い』の学びはじめの方の場合、その事例の中の絶対に譲れない部分と、どうでもいい部分はどこかを見極めることは出来ません。ですので、とりあえずは事例を丸呑みするしかないのです。その事例の中で実践経験を積み上げることによって、その事例の中に流れる一貫した観が分かり始めます。そして、観が分かれば、例示した事例を捨てて、自らの影である事例をつくればいいのです。

 ちなみに、数学や物理学を不得意な人が多いのは、この丸呑みが出来ないからです。例えば「点は位置があるが面積はない」ということを飲み込まなければなりません。常識的な人であれば「面積がなければ目に見えないじゃん」という風に拒否したくなります。また、「摩擦無い状態で」と言われれば、「そんなことあるわけないじゃん」という風に拒否したくなります。でも、それでは数学や物理学を学び取ることは出来ません。とりあえずはそれを丸呑みして理解し、その上で摩擦のある状態で適応するしかないのです。

 今まで『学び合い』の手ほどきをしたり、メールでのお悩み相談を受けたりする人の中で、私が一言言う度に拒否する人がいます。いい方は様々です。その方のおっしゃっていることは常識的には理解できますし、その方がそういうであろうことも分かります。でも、そういう人を見ていると、「あ~、今は無理だな・・」と思います。自分が変わりたくなくて、自己弁護を並べ立てている人に何を言っても無理ですから。そういう人の場合、観は理解できず、影である事例をの上っ面をなぞり、それを否定する以上のことは出来ません。

 ところが、「それをするのは何故ですか?」とか、「具体的に、これこれの説明の仕方でOKですか?」と聞く人の場合は学び取ることは出来ます。それらの質問は、基本的に丸呑みしようとしているのですから。そういう人は、どんどん成長します。そして、入門の時とは違った悩みに到達し、それを乗り越えることが出来ます。つまり、素直さが大事なのです。もちろん、分からなければ聞くという態度も。

 私は影である事例を丸呑みすることを求めることがあります。でも、その真意は、その事例を絶対的真理として飲み込むことを望んでいるのではありません。あくまでも、私にとっては絶対的真理と信じている、たった2行に集約できる学校観、子ども観を理解するための方便です。それを理解した後は、事例ははき出しても結構です。それは影なのですから。

 ま、これは丸呑みして観を理解した経験の無い方には難しいかもしれません。でも、何でも結構です。何かのスポーツ、芸事、宗教、また、私は宗教の一つだと思っている「数学」や「物理」を学び取ったことのある方であれば、上記は理の当然です。守破離の最初は、「守る」ことが最初なので、それ以外にはあり得ません。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20031021/1172926774

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080514/1210738610

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20091214/1260746807