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2011-03-06

[]規格外 22:11 規格外 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 規格外 - 西川純のメモ 規格外 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は相当規格外の学部生でした。ですので、変わった学生を見ても、私のあの時代の姿よりはまともだと思えるので、寛容になれます。しかし、教師になって27年間で、は、じ、め、て、私に比肩できる規格外の学生さんに会いました(私の規格外の方向性とは違いますが)。ということで、昔の私を思い出しました。

 内面はさておき(これはもっと凄いですが・・・)外面を中心に話します。私は51歳です。その時代背景を加味してご理解ください。

 当時、私はヒゲを生やしていました。そして、両手の殆どの指には指輪をしていました。それも銀座の金銀銅という店の凝ったデザインのいぶし銀の指輪で、オニキスがお気に入りでした。パイプと葉巻を常用していました。これまた銀座の店でローデシアンベントのパイプをかって吸っていました。服はチョッキ付きの上下、つまりスリーピースが好きでした。特に、シルク仕立てで、見た目には普通なのですが、夜、光を当てるとキラキラするのが好きでした。車は幌付きのジープです。本体価格と同じぐらいの改造をしています。現在の貨幣価値で言えば、最高級の乗用車並です。それを幌をたたみ、フロントガラスをたたんで、ゴーグルで運転するのです。つまり、ヒゲ、パイプ、スリーピースの私がジープで、大学に毎日行くのです。びっくりでしょ?こんな変な格好の学生は、筑波大学一学年1500名(学部全体で6000人)の中で一人だと思います。ちなみに、教育実習では、「ヒゲ」は剃りましたが、それ以外はそのままです。そして、教育実習期間、毎日、違ったスリーピースで通いました。教育実習終了の打ち上げで、指導教諭のY先生が「西川君は授業はうまいが、指輪はしない方が良い」と言ったのが印象的でした。当時の私は、「え?」と思っていたほどです。

 当時の私は、必死に自分のアイディンティティを探していたのだと思います。言動も、明らかに規格外でした。今でも規格外ですが、当時の私は「アブノーマルレベル」の規格外でした。

 それが4年の最後になって、そんな自分を振り返って、何も残らなかったと気づきました。そして、当時の私から見て規格内の同級生の方が、将来に向かって自分のアイディンティティを気づく方向性を持っていることに気づきました。そこから、方向性を変えました。が、大学院の私は、規格内の方向性ですが極端な方向性を突き進めました。具体的には、一日、11~13時間研究に集中し、2時間徹底的に飲み明かすという生活を続けました。その延長上で、高校教師も青春ドラマの方向性で突き進みました。

 しばらくして、本当に実績を残している人は、非常に穏和であり、腰が低いし、外見は目立たないということに気づきました。アイデンティティを目立った外見や行動に求めるのではなく、日々の行動の積み上げで出来る人の姿だと思います。今でも規格外ですが、学部当時の私に比べれば天と地ほどの差があります。

 たった一日しか、それも数時間しか一緒にいません。だから、分かりません。が、私は過去の自分を思い出しながら、かってに想像するのです。彼は、今、自分のアイディンティティを探しているのだろう。そして、やがて見つけるだろう。そして、内面の規格外は変わらないにせよ、外面は普通になっていくのだろう。と。

 ま、分かりません。でも、当時の私並みに規格外の学生を見て、楽しくなりました。彼がこのメモを見るとは思いませんが、エールを送りたい。

[]理論と実践 22:11 理論と実践 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理論と実践 - 西川純のメモ 理論と実践 - 西川純のメモ のブックマークコメント

私はしつこく、『学び合い』は考え方であってテクニックではない、と連呼します。でも、本当は『学び合い』以外の従来型指導だって同じです。考え方とテクニックを分けて、考え方を理解した上でテクニックを使わなければならないのです。そうでなくてはテクニックが有効に働かない。

学び合い』にもテクニックはあります。例えば、褒めるというようなテクニックもあります。振り返りカードなどもあります。全部を列記して手引き書には書きませんが、山ほどあります。でも、そのテクニック「も」考え方を理解していなければ無力です。例えば、何のために褒めるかということを理解せずに、褒め続けたら「うるさい」だけになります。

残念ながら、我が国の教育実践で、『学び合い』以外に理論を明確に示した例を私は知りません。少なくとも自然科学に比肩するレベルでと言う意味です。つまり、実証的データによって裏打ちされている。また、その理論が短く表現される、少数の基本に集約されているという意味でです。そして、我が国の教育実践はそれいを意識せずに、テクニックレベルのことで是非を論じています。

例えばです。広い意味での“学び合い”にしても基本の考え方は違います。まず、学びあうこと自体に意味があると考える立場があります。『学び合い』や学びの共同体がこれに含まれると思います。しかし、圧倒的多数の“学び合い”は手段として“学び合い”を使っています。大きく分けて、主に人間関係向上・生徒指導の手段として“学び合い”を使うタイプです。典型的な例は、犬山の“学び合い”だと思います。それ故、学力テストに強硬に反対したのだと思います。逆に、主に学力向上の手段として“学び合い”を使うタイプです。おそらく、これが一番多い。

さらに、子どもの能力がどの程度である、また、人間の本性として持っている“学び合う”能力はどのようなものか、ということによって、「クラス会議」、「バス学習」、「班会議」、「グループ学習」、「ペア学習」・・・・という風に分かれます。ちなみに『学び合い』は子どもたちの能力を高く評価しており、小さい気のあった者同士“学び合う”のはホモサピエンスの本性と考えています。一方、気の合わない同士の“学び合い”は、人間社会の発展に伴って形成されており、まだ本性までには至っていないと考えます。それ故に、「一人も見捨てずに」を教師が求めるべきだと考えます。しかし、それ以外は子どもたちが出来ると考えるのです。

 実は『学び合い』以外の“学び合い”の人たちの間では軋轢も少ないです。理由は方法のブレンドをするという折衷案が出来るからです。ところが考え方を明示し、それを意識化させるから軋轢が生じるのです。でも、テクニックは考え方の反映、陰なのです。だから、考え方を理解しなければテクニックは有効に働くわけないのです。だから、名人教師の指導案・教材をそのまま使っても授業がうまくいかないのは当然です。

 考え方を理解し、それとの関係でテクニックを選択したとしたら、非『学び合い』の方々の間でも当然、軋轢は生じます。おそらく代表的な者だとしたら、“学び合い”を学校研究の柱にしている学校の先生方にも、人間関係・生徒指導の手段として“学び合い”を考えている方もおられるし、学力向上の手段として“学び合い”を考えている方がいます。本当に学校研究の実をあげるためには、少なくとも意識する必要があると思うのです。

追伸 私のメモを読んでいる方は、色々に勉強していると思います。以下で書くことを、他を否定する意味で書いているのではないことをご理解ください(私の性格からそう誤解されることを恐れつつ)。

 皆さんの学ばれた様々の実践の中で、「こうである」と言うことに関して、実証データで示せる実践はどれだけあるでしょうか?専門的に言えば、曖昧な言葉を定義する場合、それをどのようにして測定するかということで定義することが出来ます。このことを操作的定義と言います。これがないと、一つの言葉がありとあらゆる意味に解釈されてしまうのです。例えば、学力にしても、教師の自作テスト、業者テスト、ピザ型テスト、NRT・・で計れる学力は別物です。それを整理せずに議論すると話が通じません。

 もう一つあります。皆さんの学ばれた実践の中で、その理論をごく少数の短い言葉で表現している実践はあるでしょうか?表現が長くなったり、多数である場合、その意味が多義的になったり、互いに矛盾することがあります。

 繰り返し言いますが、否定するつもりではなく、あくまでも現状の『学び合い』を取り巻く環境を理解するためのですので・・・・

 例えば、学びの共同体に関して、上記を思い起こしてください。私も大好きな佐藤先生の著作は多数です。しかし、それらは学びの共同体の実践に対して表現豊かに記載されています。しかし、それらを一貫する理論を短くまとめたものを見たことがおありでしょうか?また、その表現の中で、定量的・定性的なデータが示されたことがあるでしょうか?結果として何が生じるか?それは、100人いたら100人の学びの共同体が生まれてしまうのです。それはテクニックレベルの違いではなく、考え方レベルの違いです。それが学びの共同体が広がりやすい理由の一つなのだと思っています。考えを意識せず、考えを変える必要もないからです。でも、考え方を意識せずに実践することによって生じる問題が起こります。(従って、学びの共同体の実践者の中には、『学び合い』の考え方をお持ちの方も少なくありません。いや、多いと思っています。)

 私は、軋轢が生じることを理解しつつも、誤解なく理解してもらうことを大事にしています。多くの人に受け入れてもらうより、はっきりと分かった人が増えることを目指しているのです。「一人も見捨てない」ことを実現するには、それが迂遠なように見えて、確実な道だと確信しているのです。

 なお、これは『学び合い』以外の実践もすべきことだと私は思います。つまり、自分たちの実践をごく少数の短い言葉で理論的に表現にすべきです。そして、そこでの言葉の意味が何であるかを、定量的・定性的なデータで保証すべきです。と、私は思うのです。おそらく、このレベルの議論だったら実りの多い議論が出来る。残念ながら、現在はテクニックレベルの議論、また、考え方とテクニックをチャンポンにしている議論に終始しているように思います。

追伸 以上書きながら、これを書くべきではないという声が私には聞こえます。日本的には、私もあなたもともに良いですよね、という安易な合意が尊ばれます。でも、ちゃんと議論することが大事だと思うのです。ただ、残念ながら、大人のルールに則った議論が出来る方が案外少ないのが残念です。

[]教材研究 10:01 教材研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教材研究 - 西川純のメモ 教材研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 川中島の会で教材研究が発表された。ひねったことは何もない。でも、指導要領と教科書を徹底的に読み込むことによって、どんどん深まりのある教材が生まれる。シンプルなものこそ、深みが生まれる。

[]学校生協 09:56 学校生協 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学校生協 - 西川純のメモ 学校生協 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 川中島の会の始まる前に立ち話をしました。その時、スタートブックが売れているという話になりました。その中で、「スタートブックが長野の学校生協のリストに載ったのは大きかったな~」という話を聞き、「へ?」と思いました。「え!?」と思わず聞きました。それによれば、学校の先生はアマゾンを利用しないとのこと。思わず、「え?」と聞き返しました。「先生、こういう会に来る先生方は特別な人なんですよ。学校の先生の殆どは紙媒体での案内が必要なんです。」とのこと。「ほ~」と納得しました。『学び合い』関係者はものすごくアンテナの高い人です。そういう人と普段つきあっているので、見逃した点です。で、「じゃあ、どうすればそういうリストに載るの?」と聞いたら、学校生協の会員である先生からのリクエストがあと載るそうです。そのようなリクエストは少ないので、リクエストがあるとかなりの確率で載るそうです。

 ということで、学校生協の会員の方にお願いです。スタートブックはもちろんですが、「気になるこの指導に悩むあなたへ」と「忙しい!」を誰も言わない学校」、そして三崎先生の「『学び合い』入門」をリストに載せるように要望を出してもらえませんか?みなみなさんが各県の学校生協に要望を出せば、各県の生協のリストに載る可能性は高いともいます。それによって、『学び合い』と出会える人が増えます。

 会員の方が、いや、会員の方のみが出来ることです。お願いします。