■ [大事なこと]規律
『学び合い』は立ち歩きはあるし、私語が多い。そのため、『学び合い』をすると学習規律が悪くなるのではないかとお思いの方もいます。がそんなことはありません。逆に学習規律は高まります。
まず最初に学習規律のことを考えるとき、規律のことを考えましょう。その際、どこかの独裁国家の「規律」と民主国家の「規律」を比較しましょう。独裁国家では、独裁者が話すとき、姿勢を正し、それをメモし、終わったら拍手するのです。
民主国家では、首相が演説をしているとき、ほおづえをついて国会傍聴しても構いません。そして、首相の考えに疑問を持ってもOKです。しかし、民主的に決まった法には従います。民主的に決まった法が支配しているのであって、首相が支配しているのではありません。
さて、現在、学校で求めている学習規律とは、どちらの方の規律でしょうか?私には独裁国家の規律としか思えません。
例えば、何何しなさいと教師が求めるとき、その理由をちゃんと説明しているでしょうか?説明するとき、それが根拠に基づいているでしょうか?私には大いに疑問です。それが成り立っているのであれば、教師の見えないところでも規律は成り立っているはずです。
『学び合い』で学習規律が成り立つのは、子どもたちが互いに声がけしているからです。子どもは教師の目を逃れることは出来ても、同級生の目から逃れることは出来ないことを知っています。そして、教師から嫌われても屁とも思わない子どもも、クラスの子どもから浮くことは恐れます。
となると、いつまでも自律的な規律にならないのではないかと危惧される方もいるでしょう。でも、ご安心を。元々我々の持っている規律は、それを規律としている集団の中にいることによってはじまります。そして、その中で生活することによって内在化するものだと思っています。
その意味でも、教師一人の影響力で内在化しようとする従来型より、集団を重視する『学び合い』の方が内在化しやすいのは当然です。
西川純、高野知子(1998.3):生徒の環境問題に対する判断と行動、環境教育、7、日本環境教育学会、41-49
西川純、小松公之(2001.8):社会的に構成される環境意識に関する研究、上越教育大学学生、及び、上越地域市民を事例として、環境教育、21、日本環境教育学会、55-62