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2011-06-25

[]豚がいた教室 18:14 豚がいた教室 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 豚がいた教室 - 西川純のメモ 豚がいた教室 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我が息子のクラスでは豚を飼い始めています。正直なところ、あまりこの種の実践は好きではありません。一番の問題は、ペットと養豚をごっちゃしているところです

 その関係で、家内が見ている「豚のいる教室」を横で見ていました。一般受けする教育映画の殆どが、反吐が出るほど嫌悪感を感じてしまう私にしては、意外にも嫌悪感を感じることなく見られました。理由としては、ルーキーズ金八先生のようなカリスマ教師が突っ走ると言うものではない点です。また、大部分が子どもたちの会話で占められている点が良かった。会話は比較自然な流れで、教師ドラマありがちな作り物の感じが少なかった。

 ということでお勧めです

 が、それでも感じるのは、主人公の教師が何を目的とするかを明らかにせず(というより本人が何も考えず)作業(豚を飼う)を子どもにさせているという、従来型独特の構図がハッキリ出ている。結果として、子どもが右往左往して、最後はさんざん議論させておいて教師が決めるという形になっている。

 映画の中の校長が言っているように、授業は教師が責任を負うものだと思う。だから、ハッキリと目標を与え、その目標の中で様々な方法を子どもたちが考えればいい。

 この映画だったら、第一は、「豚を飼って、最後はそれを食べることによって食べると言うことの意味を学ぶ」ということであれば、それをハッキリと述べ、それにぶれては駄目だと思う。

 子どもたちが様々な方法(例えば名前を付ける)の方法を提案したとしても、その度に、目標の確認をすべきだと思う。仮に、子どもが「可愛そうだから殺さないで」と言われても、それは駄目であることをちゃんと説明すべきだ。

 仮に、最終的な結論は定めず、子どもたちの議論に任せるというのであれば、リスク管理をちゃんとすべきだ。映画では、最終的に殺すという結論を出したが、もし、そうでなかった後のことを教師は何も考えていなかったようだ。それは無責任だと思う。

 その中で、校長姿勢が好感が持てた。