■ [大事なこと]実験教
私は理科人です。理科人には「実験教」という宗教があります。何しろ、それが宗教であることを知らないほど深く信仰されています。この宗教では「見れば分かる」という宗旨です。だから出来るだけ見せるべきだと考え、見れば分かると思うのです。
非理科人の息子と一緒に科学博物館に行くと、情けないほど、この宗教が馬鹿馬鹿しいことが分かります。理科人である私には科学博物館の様々なディスプレーが何を意図しているのかが分かります。ところが息子はそれに気づいていずに、単に「球を投げ」、「動かし」、「自分を映し」・・・・をしているだけです。そして、その現象が実に驚異的であったとしても、それが驚異的とは思っていません。単に、いつもとは違うなという点です。そこのディスプレーが一つ一つ数百万円以上をかけていて、それが複数のビルを閉めているのですから、天文学的な金額です。
この手の展示物は、理科がよく分かって理科が大好きな人が設計します。しっかり確かめていませんので断言できませんが、ここもそうではないかと思います。何故、日本中の大部分を占めている非理科人の意見を聞かないのだろうか?なぜなら利用者の大部分は非理科人なのですから。
『学び合い』では教科書づくりを課題にすることがあります。彼らは実に素晴らしい教科書を作ります。子どもがそれだけの能力があると信じている『学び合い』なればと思います。ちなみにこれで神埼氏は博士の学位を得ました。
追伸 どこかの科学館が申し出てもらえるならば、非理科人からの科学館づくりを子どもたちに与えたいと思います。素晴らしいものが出来ると思います。少なくとも、非理科人にとっての科学博物館という意味だったら、今より「まし」であることは断言できます。だって、ユーザーの声を聞かずに、記述者の声で作った商品が売れた試しはありませんから。
追伸2 見せることは有効です。それは確かです。でも、見せても分かる人はごく一部だと言うことも確かです。『学び合い』は生を見ることは有効です。でも、分からない人もいます。人は自分の既に持っている枠組みで理解しますから。それに「分かりたくない人は」絶対に分かりませんから。
神崎弘範、西川純(2006.11):総合的な学習の時間のねらいを踏まえた理科学習の展開の可能性について、『学び合い』を軸とした生徒による教科書作りの活動を通して、理科の教育(投稿分野)、55(11)、66-71
後藤正英、久保田善彦、水落芳明、西川純(2007.3):中学校の理科実験における子どもの課題解決に関する一考察、「探究の過程」を強制しないカリキュラムにおける実験の予想に着目して、理科教育学研究、日本理科教育学会、47(3)、1-8
後藤正英、久保田善彦、西川純(2007.10):課題選択学習における子どもの単元構成に関する研究、理科の教育(投稿分野)、日本理科教育学会、56(10)、65-68
神崎弘範、西川純、久保田善彦(2007.11):生徒同士の相互作用を重視した理科学習における「自作教科書作りの活動」についての実践的研究、中学2年生理科・「電流のはたらき」の単元の実践から、理科教育学研究、日本理科教育学会、48(2)、23-34
福留明子、西川純(2008.2):小学校1年生における子どもの相互作用を生かした学習について、『学び合い』による学校探検の教科書作りを通して、臨床教科教育学会誌、臨床教科教育学会、8(1)、89-106
藤井麻里・水落芳明・西川純(2009.11):道徳における『学び合い』関する実践的研究、-小学生による道徳教材作りを通した学びからの考察-、臨床教科教育学会誌、臨床教科教育学会、9(2)、55-65
神崎弘範・西川純・久保田善彦・水落芳明・桐生徹(2010.3):自作教科書作りの活動からみた「生徒の考えるわかりやすさの要件」についての実践的研究、理科教育学研究、日本理科教育学会、49(3)、77-90