■ [お誘い]越後『学び合い』の会
毎年、その時点での最先端の『学び合い』を生の子どもの姿で提案しています、越後『学び合い』の会、今年のテーマは地域コミュニティの再生です。メインでは、複数の学校が共に学び合う姿を提案します。地域コミュニティの全面的なバックアップを得て、じっくりと語り合える宿泊プランを提供します。お早めのお申し込みをお待ちしています。
■ [大事なこと]創業者
ドラッカーの数ある言葉の中で特に大好きな言葉の一つが以下のものです。
『ベンチャービジネスにとり、最大の危機は、製品なりサービスが、何であり、何であるべきか、どのように買われるべきかを、顧客以上に知っているということである。必要なことは、予期せざる成功を機会と見なし、自分たちの専門に対する侮辱とは見ない姿勢である。マーケティングのあの基本原則を受け入れることである。つまり、企業というものは、顧客を改心させることによって対価を得ているのではないということである。顧客を満足させることによって対価を得ているのである。』という言葉が、「イノベーションと企業家精神」(ダイヤモンド社、1985、327-328)という本にあります。
顧客には様々な種類があります。第一は、リスクを無視し、新たな可能性を求め購入する人。第二は、リスクを意識しつつ、リスクを負っても新たな可能性を求め購入する人。第三は、リスクを負うつもりはなく、改良を求め購入する人。第四は、リスクを負うつもりはなく、周りが全員使用しているのでそうせざるを得なくて購入する人。第五は、変わりたくないので購入しない人。
私は授業方法としての『学び合い』が広がるより、「一人も見捨てない」ことが広がることが願いです。が、「一人も見捨てない」ということは顧客に改心することを求めているのです。当然、『学び合い』が広がれば、それを求めない人が多くなります。しかし、「一人も見捨てない」ことを意識しない顧客であっても、テクニックとしての『学び合い』が広がれば結果として「一人も見捨てない」教育は広がります。
憲法の条文が分からなくても、憲法の条文の中で運用されている諸法の中で普通に生活する人が多くなれば、憲法の条文の願う社会が実現されます。憲法の条文が分かる人は集団の2割もいれば十分です。『学び合い』もそれと同じです。
先に述べた顧客の第一及び第二までは「一人も見捨てない」ということと『学び合い』は矛盾しません。しかし、第三以降になってくると、顧客は「一人も見捨てない」ということを否定はしないまでも意識せずになります。そして、時には「一人も見捨てない」ということを軽視し始めます。このときに、ドラッカーの言葉の意味が重要になるのです。
私にとって「一人も見捨てない」という目的のために『学び合い』があるのだけど、多くの人は『学び合い』をテクニックとして利用し、「一人も見捨てない」ということを軽視する。その時、「一人も見捨てない」という私の目的を達するために、「一人も見捨てない」ということを軽視する顧客に対して、「企業というものは、顧客を改心させることによって対価を得ているのではないということである。顧客を満足させることによって対価を得ているのである。」ということを自らに課せるか否かです。
本田宗一郎はそれが出来なかった。だから、経営の一線から身を引きました。