■ [大事なこと]心
昨日までお二人の研修者がいました。お二人に伝えたこと、それは「心」で勝負だと言うこと。子どもは教師のテクニックや話術を見ているのではない。子どもは教師の心を見ている。そして能力を見ている。
心は見えるもの。人は様々な仕草、表情、声の抑揚をします。それらを長期間観察し、一貫するものが心です。能力は見えるもの。それは自分(子ども)たちが望むことを実現するために、いや自分たちが思いもしないようなことを実現するための能力は、現実にそれが実現できるか否かで分かるもの。
『学び合い』の場合、その心とは「一人も見捨てない」という心、そして、それを実現するための学校観、子ども観。『学び合い』の場合、その能力とは、高い志を維持することによって、高い志を持つ多様な人と繋がり、その能力を借りる能力。誰でも出来ること、でも、それを維持し続けるにはネットワークが必要。
教諭と校長(部下と上司)に置き換えれば、理の当然の話。
■ [大事なこと]醜悪
『学び合い』が分かると、今まで良しとしているものが悪しきものに見えてしまいます。善意の尊敬すべき教師の言動が醜悪に見えてしまう。
昨日、テレビを見ていたら素晴らしい指導力で高い成果を上げている部活、そしてその顧問の先生が映されていました。一つ一つの言動を見ていると、「全ての子どもの成長のために全国優勝」ではなく、「全国優勝を実現すれば多くの子どもの成長に繋がる」と思っているとしか思えないのです。そして部員の多さを見ると、「あ~、これじゃ1割強の子どもがドロップアウトしても、優勝を目指せるな~」と思えるのです。
事実かどうか正確に分かるわけでもなく、失敬だと思うのですが、テレビに映し出される微妙な言動の集積は、それを指し示し、私には醜悪に見えてしまう。難儀なものです。