■ [お誘い]福岡の会
11月3日に福岡の会があります。http://bit.ly/ns9Dhn
■ [大事なこと]大事なこと
『学び合い』を成立させ、維持できるか否かのポイントは「一人も見捨てない」という願いと、それから生じる理想の高さ、だと思います。
例えばテクニックを併用すれば、つまらなそうにしている子どもは必ず生じます。人間にとって他の人間ほどオールマイティの興味関心の対象はありませんから。もちろんカリスマ性の高い、プレゼン能力の高い人がそれをやればかなりの割合が興味を持つかも知れません。でも全員ではありません。さらに言えば、そのカリスマ性の高い、プレゼン能力の高い人であっても、いつもハイテンションで授業をやることはできません。そうなればつまらなそうな子どもは生まれます。
さらに、そんな授業をやっていれば、阻害される子どもは生まれます。なぜなら、そのような授業は教師が引っ張る授業です。従って、その正否は教師が責任を背負っていると子どもは認識します。そうなれば、他のこのために何かをするという「面倒」なことは手を抜きます。さらに、クラスメートは教師の歓心を奪い合うライバルになります。結果として阻害される子どもは生まれます。
一人も見捨てないという強い願い、そして一人でも見捨ててしまったらどんな恐ろしいことが起こるかという恐れが弱いと、それを見過ごし、「自分が良い授業をする」ことに集中してしまう。本当は「自分」ではなく「全ての子どもにとって」なのですが。
一人も見捨てない、という一点を守っていれば、子どもたちはどんどん高まります。そうなれば、自分自身も高まらなければなりません。彼らが自分のクラスの一人も見捨てずということを考えているならば、もっと高い次元で一人も見捨てずを意識し、行動しなければなりません。そうでなければ、早晩、オピニオンリーダーの子どもが手を抜き始めます。
と偉そうな事を書いていますが、私自身も「一人も見捨てず」というこうことが弱くなることがあります。そうすれば、私のクラスである西川ゼミに問題が生じます。ただ、長く『学び合い』につきあっているので、復帰も早い。つまり、結局、「一人も見捨てず」、それに基づく学校観・子ども観に立ち戻るしかないということは分かっていますから。そして、常に高い理想を持っている全国の人と繋がることによって、自分の理想の高さを維持し、高めています。
私も色々な教師と出会いました。亡くなられた佐藤準一さんのように最高のクラスを創れる人には強烈な願いと確信があると思います。
そして、万人にフィットする、最高の教材、最高のテクニックは「人」なのです。全ての教材、テクニックは、一人一人の子どもに合わせたオーダーメイドであらねばなりません。ところが、「人」以外の教材・テクニックはオーダーメイドにすることは出来ません。最高の教材・テクニックは一人も見捨てないということが自身に「得」だと理解している集団なのです。