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2011-11-10

[]客観的 18:11 客観的 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 客観的 - 西川純のメモ 客観的 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校の同志の授業を参観しました。そして、参観後に色々と話しました。この方と話すと面白いです。とにかくブレないのです。普通だったら、ちょいとうまくいかないとブレる兆候が見られるのに、それが殆ど見られない。その理由は自分の授業を実に客観的に見ているのです。

 普通だったら、自分はどう思って子どもに教えた、という視点で理解しがちです。だから、「子どもはこう思うべきだ、こう行動するべきだ」と考えがちです。そして、「べきだ」が抜け落ちて「こう思っている、こう行動する」と勝手に解釈します。

 授業をfだとすると、自分のやったことがxだとして、子どもに伝わったものがyだとすると、y=f(x)という関係です。上記で言いたいのは、多くの教師はx=f(x)と思いこんでいるのです。ま、完全にイコールとは思っていないでしょうが、大多数の子どもにとってはそう思っています。というのは従来型の授業では子どもは黙ってノートに写すという行為を強いられているので、ノートに書かれたものだけを見ると、x=f(x)にみえるのです。だって、黒板通りのことがノートに写されているのですから。

 ところが『学び合い』だと子どもが分かっているかいないかが非常に分かりやすくなります。そうなると、あたかも低下しているように感じるのです。そして、軸がぶれ始めます。

 が、この先生は、従来指導型の授業をしているときのyをかなり正確に把握しています。だから、どんなことが起こっても、従来指導型より『学び合い』の方が「まし」ということの確信は揺らがないのです。面白い方だな~っと思います。

[]質問に応えて 14:40 質問に応えて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 質問に応えて - 西川純のメモ 質問に応えて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、私が書いたことに関して質問を受けたので回答いたします。

●今まで色々な人に手ほどきしたが、最初から純粋『学び合い』をした方が、一番早く、高く『学び合い』を会得される。ま、そうとう怖いだろうけど。それが一番、安全なのだから。

 これは何故かと言うことです。理由は、『学び合い』は考え方だからです。そして純粋な『学び合い』はそれを具現化するために多くの人が積み上げた一つの形だからです。自分の不安から従来指導型『学び合い』をやろうとするのには、学校教育の目的は何か?というところが甘いか、子どもの能力を低く見積もってしまっている可能性が高い。そうなると、今日の個の問題が解けるか否かで頭がいっぱいになって、中長期的にクラスをどう育てるかという軸がぶれます。また、子どもに任せることができず、結果として子ども達の能力を活かすことができません。

 もちろん最初の最初からバンジージャンプを飛べる人は少ないのは当たり前です。最初から純粋に『学び合い』をできる方の方が「変」と思います。心に不安があるならば、しょうがありません。従来指導型でも結構です。徐々にシフトしても結構です。が、当然、時間もかかりますし、途上の成果が低いのは上記の通りです。

 が、「一人も見捨てない」という最初の願いが甘いと、崩れ始めると止めどなく崩れてしまい、な~んちゃって『学び合い』になります。それさえぶれなければ時間はかかりますが『学び合い』を実践することができます。

●研究者にとって必須の能力は何か?それは師を選ぶ能力です。あの人に学べば優れた研究者になる、ということは分かりません。しかし、あの人に学べば絶対に研究者になれない、ということは分かります。残念ながら、それがないために潰れていく研究者の卵がいかに多いことか。でも、ちょいと調べれば分かることなのに、それを怠ったためなのですから、因果応報とも言えます。

 について、ではどのように判断したらいいか?という質問です。

 まず、その人の能力はちょいと調べれば分かります。特にインターネット社会だったら。その人の名前と業績というキーワードで検索すれば業績が分かります。もし、それが検索できないとしたら、それは業績があるのだがインターネットで検索できない、というのではなく、業績が無いということを意味します。現在の研究者で業績の公開することを求められない人はまずいませんから。

 ただ、その業績が本当に業績なのか、否か、は業界の人じゃないと分かりにくい場合があります。例えば「学会発表」です。これは業績ではありません。というのは、学会に所属して会費を払い続けている人だったら、だれでも発表できます。また、大学名を冠した学術誌は基本的に業績ではありません。一般には、そのような雑誌は、その大学に所属しているならばよほどのことがない限り掲載されます。もしくは、その雑誌を動かしている学内ボスに気に入られているかいないかが決定的です(このあたりは筒井康隆の「文学部唯野教授」に面白おかしく書かれています。事実ではありませんが、示唆するものは少なくありません)。もちろん、少数ながら学外者を含めた審査制度を取り入れた雑誌もありますが、これは規定を良く読まないと分からないと思います。

 学者社会に置ける業績とは、その分野の広い範囲の研究者から一定のプロセスで評価を受けた学術業績を業績と指します。したがって、上記で例示したものが麗々しく表記されている場合は、疑問に思った方が良いかもしれません。なお、上記は学術研究者の業績です。実務経験を評価された研究者は、その業績で評価されます。また、研究者以外の場合は、その業界での業績で評価されます。いずれにせよ、ちゃんと調べれば分かると思います。

 次に人物的な評価です。これは難しいし、時間もかかります。限られた時間で見いだすことは困難でしょう。でも可能です。私の場合は、古くからの仕事仲間がいるか否かで評価します。どれだけ、その人のために汗を流してくれる古くからつきあいのある人がいるか否かです。

 短期的なことだったら舌先三寸でなんとでも誤魔化せます。また、利害関係を共にしていない野次馬は、その場の雰囲気でどうとでも転びます。が、利害関係を長く成立させるためには、その場その場で利害関係を調整し続けることが必要です。それが大人社会における「誠意」だと思います。