■ [大事なこと]幸せ

幸せの定義は多様だと思います。しかし、私にとっては「家族仲良く、健康で」です。そのため、ほぼ毎日、「神様、仏様、ご先祖様、感謝します」という無節操な感謝を祈って寝ます。
ノーベル賞を受賞する人がいれば、その人の経歴をテレビで紹介し、学校で語られます。が、ノーベル賞受賞が幸せに関係するとしたら、その恩沢に浴せる人はどれだけいるでしょうか?神か、仏かわかりませんが、もし、世の中に超越者がいるとしたら、全ての人が幸せになれる仕組みを与えていると信じています。色々な幸せがあるでしょう。でも、生物学的に言って、「家族仲良く、健康で」は最もしっくりすると私は思います。
だから、私は学校で、多くの人が達成可能な幸せを教えるべきだと思っています。その上で、それ以外の多様な幸せを受容する教育は必要だと思います。その中に、ノーベル賞受賞やビルゲイツやジョブズの凄さを教えるものあると思います。
■ [大事なこと]尻に敷かれる

以下、書くことは意見の分かれることですが、あくまで私の「偏見」であることを自覚し、例外が少なくないことを理解しつつ書きます。私はゼミ生さんに、女性に尻に敷かれることを勧めます。
私の尊敬する高校の恩師が言ったことです。その先生は色々な教え子を見てきました。その結果、「離婚する場合は、その原因は男の我が儘だ」とのことでした。少なくとも、私を振り返れば、その通りだと思います。男は短期的には滅私奉公は出来ますが、長期的には我が儘です。一方、女性は短期的には我が儘ですが、長期に的には滅私奉公だと思います。女性がそれが出来るから、長期的につきあう夫婦関係では、男は勝てないのです。
男の学生に問います。夫婦喧嘩に妻に勝てるためには、妻がやっているようなことを自分がやるしかない。それが出来ないならば、負けを認めて尻に敷かれろ。どちらがいいか?と聞きます。みんな尻に敷かれることを選びます。女性は偉大です。ひ弱な男性は、その庇護下に置かれるしか中年・老後は無いと思います。少なくとも私は。だから、勝てるわけはない。結婚二十年弱で得た、揺るがぬ「私」の確信です。
■ [大事なこと]エゴイズム

『学び合い』の学校教育観に書いた「多様な人間と折り合いを付けて自らの課題を解決すること」の言葉の意味と深みを分かるのは難しいですね。でも、短い言葉ですが、なかなかその言葉の意味が分かってもらえない。
キーワードは「多様」、「おりあい」、「自ら」なんです。
人間はエゴイズムの固まりです。夫婦・親子の関係であっても、絶えず損得勘定をしています。ましてや他人同士であれば。その中で、実り多い関係を結べるには多様であることが大事です。人間関係が続くためには、10の労力に対して、10の報酬がなければなりません。ところが、こすっからい人間は相手の10の労力に対して9の報酬でなんとかしようとします。が、それを受け取る側は損得勘定しているのですから、そんなこと成り立ちません。どうすればいいか、そりゃ、異質な人と繋がることです。
自分にとっては5のこのことを、相手は20の意味を持ち、10の報酬で関係が結ばれれば、両方とも得な関係です。貿易はそもそもそんな関係です。海の地域の人が海の産物を、山の地域の人が山の人の産物を交換するから両方とも得なのです。私が色々な予算を獲得するのは、大学の偉い人という異質な人と関わりを持つから貿易が成り立つのです。
人であれば拘りもあります。これは、理屈で言っても前提が違うのですから、どうしょうもありません。そこで、違うところを言い立てて、物別れになるのは「損」です。違うからこそ、よりよい貿易が出来る可能性があるのです。基本的な貿易のルールが成り立てば、違うのは望ましいものです。違うところを言い立てるのではなく、違うところを「さておいて」無理ない範囲で取引することは有効です。
たしか島耕作シリーズであったと思いますが、中国人と日本人が取引する時、「尖閣諸島」に拘れば何も出来ません。感情的にもなります。でも、それはさておいて、取引できることは多いのです。でも、互いに得になる関係を結びたいという前提が成り立たなければ、いかなる関係も成り立ちません。
『学び合い』に関しても色々な考えがあることは望ましいことです。自分と違う意見の人がいると気になるのは当然です。が、多様性は強みです。基本前提である、「一人も見捨てたくない」や学校教育の存在意味や、学習者の有能性の前提の「方向性」が一致するならば、折り合いを付ける方が良いに決まっています。夫婦関係や友達関係と同じで、意見の相違はあっても、それは、ま、突き詰めず、基本的な「愛」を信じる、ということだと思います。ま、それでいいじゃないですか。
次に、「自ら」です。繰り返しますが、人間はエゴイズムの固まりです。そのエゴイズムの固まりの人間が集団となって200万年間洗練したのが『学び合い』だと思っています。ホモサピエンスは集団の中で知恵を共有することによって生存競争を乗り越えました。そして、個体ごとの生産性が高まるに従って、狭い肉親だけの協力関係から、関係を広げました。それによって奴隷制を廃し、市民社会を形成し、男女同権、バリヤフリーの社会をつくりました。それは徳目ではありません。それをした社会が戦争で勝ち、経済活動で勝ったからです。
『学び合い』はエゴイズムの最も洗練された最高の手段です。
これがなかなか分からない人が多い。短期的には「一人も見捨てない」ということを目標に掲げることは徳目としか思えない人が多い。しかし、それを掲げることが、自分のエゴイズムのためになることが分からない。たしかし、「おりあい」を忘れ自己犠牲の自己憐憫に陥ればそうなるでしょう。しかし、自分のエゴイズムを冷静に見極め、折り合いを付けた貿易の「得」を理解すべきなのです。
しかし、これはなかなか分からない。