■ [ゼミ]三重カッコ
昨日は地元の学校が、とりあえず2月からでも学校として『学び合い』をやりたいと希望するので手ほどきに参りました。そこにゼミ生が陪席しました。
帰ってから、私の話は「三重カッコ」になっていると言うことを言われたので、「三重カッコって何?」と聞いたら、「先生、西川ゼミなのに知らないの?」と言われました。ゼミ生の新語らしいです。我がゼミは毎年、毎年、ばく進しています。今年の『学び合い』が来年には従来指導型『学び合い』にしています。いつのまにか二重カッコが三重カッコになっていても不思議はありません。
が方向性は一致しています。2002年に出版した「学び合いの仕組みと不思議」では以下のように書きました。
『本書、及び前著において、クラス内で学び合わせる方法とその意味を述べた。しかし、同じ学年の40人の子どもたちだけの学び合いには限界がある。やはり教師が全面に出なければならない場面も多い。筆者としては、出来るだけ子どもを全面に出したい。そのための鍵と感じ、現在研究しつつあるのは「異学年」の学び合いである。優れた部における先輩・後輩の学び合いを、教科活動の中に取り入れたいと考えている(即ち、学び合う学校)。
この異学年の学びは、言葉としては受け入れやすいが、教科学習の中に異学年を取り入れることをイメージする事は難しいだろう。一人の教師が、同時に二つの内容(例えば5年生の内容と、6年生の内容)を語ることは出来ない。したがって、一人の教師が40人の子どもを教える図式で解釈すれば、教科学習の異学年は不可能になる。しかし、子どもたちが学び合うことを基本におくならば可能である。この学び合いを想像できる方も、異学年=お兄さん、お姉さん/弟、妹の図式で考えがちである。しかし、実際は学年の差はありつつも、固定的な教える/教えられる関係は無くなる。例えば、職員室での関係を思い出して欲しい。先輩教師や後輩教師との関係は固定的ではない。最初は、それなりに堅いものであっても、しばらくすると馬鹿話もするようになる。先輩教師をそれなりに立てつつも、からかったり、遊んだりするようになる。教え方、校務分掌にしても、はじめは教えられる一方だった後輩教師が、逆に、先輩教師に教えるようになる。つまり、雰囲気のいい職員室、それが、学び合いが成立した異学年の姿である。この姿は現在実践研究を進めている段階である。
さらに、異学年にとどまらない。学校同士がネットワークで結びついた学び合い(即ち、学び合う学校群)、学校外の一般社会と結びついた学び合い(即ち、学び合う社会)を模索している。それによって、社会みんなが救われるのではと考えているが、こうなると宗教に近くなってしまう。筆者の研究室所属のゼミ生には「最終的には「学び合う宇宙」までいけたらいいな」といって、ほら話を締めくくることにしている。』
と書いている。従って、最終的には「学び合う宇宙」の実現である。しかし、2005年に出版した「座りなさいを言わない授業」では以下のように書いている。つまり、学校レベルを視野においていた。
『最後に、筆者の夢に関して述べたい。それは校長になる夢である。この夢は、学び合う学校を研究するようになって強くなってきた。この本をお読みの方は、小学校、中学校、高等学校の先生だと思われる。皆さんも、教え子の成長を見ながら、夢を描くであろう。筆者にとっての現場とは大学・大学院である。私にとっては、20歳代前半の学生さん、30歳代~40歳代の院生さんが、「可愛い」教え子である。
院生さんが現場に戻って3ヶ月かけて授業実践を行う。結果として、子どもたちが従来の授業の型から逃れ、生き生きと活動し始める。その変化は、3週間ぐらいから顕在化する。現在、1~3ヶ月の継続調査を行っているが、子どもたちの変化は劇的である。その成果は本書に示した通りである。しかし、それがより長期になれば、その教科・授業のレベルを超え、そのクラス全体の文化に成長させることが出来る。また、そのような授業実践を行う教師が複数いれば、もっと多様に授業実践が可能である。さらに、そのような授業実践を行う教師が、その学校の大多数だったら。きっと、現在の常識から言えば、非常識と思われる授業実践を大胆に行うことが出来る。まさに、学び合う学校を実現することが出来る。
指導教官バカ であるが、西川研究室の全体ゼミでの院生さん・学部学生さんの議論の質は最高である。ここでの議論の10分の1のレベルの議論が、学会においてなされるのは希だと自負している(不遜ですが)。その議論は、相手の考えを否定するのではなく、高め合う議論である。なぜなら、全員が同じ方向性を持っているからである。その議論を横で聞いている時、もし、この方々を丸ごと、どこかの学校に転任させたら、どんなことが起こるだろうか、と考えることがある。想像すると、鳥肌の立つような、ものすごい学校が出来る(かなりの確信を持って)。
もし校長(それも力の強い校長)になることが出来たら、最初は「学び合いを理解している先生」を一本釣りして呼び寄せる(だいたい3人ぐらい)。その先生方の実践を他の先生に見てもらうことを通して、徐々に「学び合い」を試してみようとする先生を増やす。そのような先生方を、「学び合い」を既に行っている先生方が勇気づけ、サポートする。徐々に「学び合い」を理解する先生が増え、職員室・お茶のみ場の会話が、現在の筆者の研究室での全体ゼミ(または食堂での会話)のような会話になる。筆者としては、そのようなことが可能となるよう対外的な調整(例えば人事・予算。そして、なによりも対外的な批判からの盾となり、スポークスマンとなる。)を行う。その中で育った先生方を、徐々に全国に輩出する。もちろん、その学校でやっていることの多くは現在の大学院でやっていることである。しかし、大学院では1年間という授業実践は行えない。また、院生の方は2年間しか派遣されない。もし、「学び合い」を5年以上のスパンで学ぶことが出来、共に学ぶ教師集団がいて、1年以上の授業実践が行えるとしたならば、今より、もっと素晴らしい学校が実現されるはずである。
しかし、筆者は大学の先生で、校長にはなれない。なれたとしても、お飾り物の附属学校の校長先生止まりである。その点、現場の先生方は校長になれる。学び合う学校をつくることが出来る。本当にうらやましいと思う。でも、私はあと20年、大学に在職出来る(今の上越教育大学の定年制が続いたという仮定のもとですが・・)。であれば、学び合う学校を、その目で見られる可能性は、決して少なくないと確信している。
「生涯一教師」を目標とされている素晴らしい先生方を、職業柄、数多く知り合うことが出来た。その先生方には、つねに「管理職になって下さい」と言っている。「教師としてあなたが関われる子どもは限られています。あなたが「良し」とする教育に共感してくれる先生を守ることによって、あなたはもっと多くの子どもと関われると思います。あなたが素晴らしい先生だからこそ、管理職になって下さい。」と語る。もちろん、私なんぞの言葉には力が無く、かつ、私なんぞが語ることなど百も承知、二百も合点だろう。そして「私は生涯一教師」と言い張るかもしれない。しかし私は何度でも何度でも語る。私の果たせぬ夢は、校長になり真の「学び合う学校」をつくることだから。私の果たせぬ夢を託せる方に、何度でも・・』
しかし、今では学校というレベルを超え、学校群、地域を射程に入れている。それが実現するのは時間の問題(それも長くない)と捉えている。現在、『学び合い』の同志の校長ばかりではなく、教諭の同志、いや、学生の同志の方に同様な視野を持って欲しいと願っています。
しかし、以上は既に実現の方向で動き始めたものである。研究者としては、次の、次を明らかにしなければならない。となると「学び合う宇宙」の実現まで行かねばならない。が、一つだけ私にも実現できないことがあります。それは、学び合う宇宙になるためには、宇宙人が現れなければならないと言うことです。これは難しいな~・・。と思って書いている時に、思いつきました。
あ、地球人が宇宙に進出して宇宙人になればいいんだ。だったら出来るかも知れない。と、ホラ話を締めくくることとします。
追伸 ゼミ生へ。こんな馬鹿馬鹿しいことをリアルに妄想する人が相手なのです。私を越えた妄想をして下さい。ふぉふぉふぉ