■ [大事なこと]始める
ゼミ生によく言うことです。不安がある場合、とにかくやる。それが効率よいか、悪いかは考えず、まずやること。ということで自分にも課します。とても良い悪巧みがハッキリと見えました。
■ [嬉しい]山菜第1号
最近、急激に雪が溶けています。捜してみると、ありました、フキノトウ。雪国のフキノトウは絶品です。植物というのは光が当たると堅くなり、えぐみが強くなる。ところが、雪国の場合、雪の下で少しずつ成長し、雪が溶ける直前まで光が当たりません。そのため、柔らかく、えぐみがあまりありません。本日は、フキ味噌か天ぷらになると思います。
■ [大事なこと]悩んでいる教師
私が『学び合い』にシフトしたのは、子どもたちの会話を徹底的に分析した結果です。結果として出たのは、子どもたちは一人一人違うということです。そして、教師が子どもを理解できるわけはないということです。その結果として、それまでの「良い方法」を見出そうとすることをやめました。「良い方法は何か?」という問いかけをやめて「良い方法を見出せるとしたら誰か?」という問いかけをしました。その結果は「当人であり、周りの子ども」なのです。彼らが膨大な会話を積み上げることによってのみ、その子に合った 方法を見出すしかないと思っています。
『学び合い』に疑問を持つ先生方は、「これこれの方法が良いんです」とおっしゃいます。そういう場合は、「全員にとって良い方法ですか?一人一人の子どもの顔を思い浮かべてください」と言います。教師も同じです。私は日本中で一番多く、長く、『学び合い』の実践で悩んだ人の相談相手をしました。しかし、私の出来ることは限られています。私が対応できるものはあり、出来ないものはあります。そして、全てにおいて対応できる方法はありません。色々な人が、色々にやればいいのです。完璧ではないけど、藻掻くしかありません。そして、最終的には同じ職場に『学び合い』を実践している仲間がいて、「ああでもない、こうでもない」という会話を積み上げるしかありません。そういうことが出来れば、そしてチームで授業をすることができれば、語る言葉に力ない教師であっても、『学び合い』を殆ど理解していない教師であっても、なんとかできるようになります。
でも、今はそういう環境を享受出来る人は少ないですよね、だから様々な媒体の情報発信が必要だと思うのです。どんな情報発信をしてもフィットする人は多くはありません。多様であることが大事です。色々な人が色々にやればいいのだと思います。そして、自分の方法にフィットしない人がいても批判するのではなく、ま、当然だよね、と思うことは大事だと思うのです。
私が同志か否かを判断する方法は簡単です。「一人も見捨てず」という願いを共有し、そのために汗を流しているか否かです。それが私の方法とは違っても、それはどうでもいいことです。私はたいした人でもなく、たいしたことは出来ないことは確かなのですから。
いずれにせよ、最終的には広がるしかないと思っています。広がって、膨大な会話を積み上げるしかない。当然、広がった結果として、『学び合い』に関して腑に落ち方も様々だと思います。それが集団としては健全です。でも、最低限、「一人も見捨てない」ことが建前ではなく本気でやらねばと思っている教師の数が多くなれば良い教育・社会が実現できると信じています。
■ [う~ん]大人のルール
個人特定される手紙・メールを公的に公開する場合、送り手の承諾が必要です。また公開する場合、送り手の了解無く、加除・改変はしてはいけません。これは大人のルールだと思います。が、残念ながら逸脱がありました。メールのやりとりの後に、その公開を求められました。その方は、一部のみの公開を求めました。私は全体ならばOKであるが、そうでなければやめて欲しいと願いました。が、それを一部だけ公開しました。このメールについては、その方と同様に、同意無く公開します。非常に残念です。他の方に迷惑がかかる部分は伏せ字にしましたが、それ以外は原文です。
西川
一つ教えて下さい。坂内さんの授業は私のメールにあったような授業の批判はだれからも受けたことはないとお思いなのでしょうか?もしくは圧倒的に少ないとお思いなのでしょうか?そう思う場合の根拠は何でしょうか?
坂内さん
すみません。意味がよく分かりません。
>坂内さんの授業は私のメールにあったような授業の批判はだれからも受けたことはないとお思いなのでしょうか?
西川
すみません。
具体的には、
坂内さんの授業では子どもたちはみんなハッピーなのでしょうか?
坂内さんの授業公開した時、それに対して批判されたことはないのでしょうか?
坂内さんの授業を校長から止められたことはないのでしょうか?
坂内さんのブログ等で書かれていることをやれば、みんな上記のように素晴らしい『学び合い』は実現できるのでしょうか?
ということです。怒らないで下さいよ。
坂内さんの他者に対する批判の源泉となる自信はどこから生じるのか知りたいのです。
ちなみに、私の場合は、私の「方法」はワンノブゼムだと思っています。
坂内さん
メールだと返信に時間がかかるのでfacebookのメッセージで返します
西川
了解です。
坂内さん
私は一度でも自分の授業を完璧だなんていったことがあったでしょうか?
私はいつも「自分の失敗してきた道だから」と述べています。郡山の会でもそう私は述べてきました。
さらに言うならば、私は学びの共同体を含めて1万時間以上協働型の授業をやっています。だから失敗の蓄積もあります。ずっとこれまで述べてきたことです。
西川
そうですよね。では、坂内さんがメールで上げた方々の授業以上だと思われる根拠はどこにありますか?
坂内さん
その答えに何か有益なものが見いだせるのですか?
西川
はい。○○の方々、○○(両方とも個人特定されるので削除しましたが、先日のブログでは削除した坂内さんが問題があると指摘した方々です)は実際に長期に見ておりませんので何とも言えませんが、上越の実践は長期に見ております。そして、膨大な会話分析、その他のデータがあります。そして、私は数年間、あのクラスの子どもを見ています。ですので、あれだけばっさりと切る根拠を知りたいのです。
坂内さん
結局、西川先生の「謙虚に受け止めたい」という言葉は偽りなのですね。
西川
いいえ。坂内さんのような見方があり得ると言うことは謙虚に受け止めました。しかし、坂内さんの見取りが正しいか否かは、根拠を明らかにしなければわからないことですよね。だって、そういう議論が出来ないならば「俺が言うのだから正しいのだ」というものですよ。
坂内さん
そのデーターをとっている西川研の院生はどうとらえていますか?
西川
お願いですから、感情的にならないで下さいね。私は坂内さんの実践を高く評価しています。しかし、坂内さんがばっさり切られた教師も高く評価しているのです。もちろん、足りないところはあるでしょう。しかし、高く評価すべき所があることを坂内さんにご理解いただければと願っているのです。ですので、どのようなデータを出せば坂内さんが理解していただけるかを知りたいので、坂内さんがどういうデータだったら納得するかを知りたいのです。
お願いですから、感情的にならないで下さい。
坂内さん
いや、冷静です。
私は西川研の院生との会話で、ビデオから予測される問題点の指摘に彼らは「全くその通りなんです」と申していました。もっと根拠が必要ならば出しますが。
坂内さん
問題点は複数です。
西川
是非、お願いします。が、ご指摘は4年前の実践ですよね。となると、○や○(いずれもその当時の院生)に聞いたのでしょうか?
坂内さん
この指摘は最近の全校バージョンものです。
では4年前に授業で1時間でやりきれないほどの課題設定をし、それができなかった子どもに説教したのが適正であったと考える根拠は何ですか?
西川
話が最近と4年前が混在していますが、とりあえず4年前としましょう。坂内さんは1時間での授業で評価していますが、授業は長いスパンで見るべきではないでしょうか?
坂内さん
でしょうね。ではなぜ説教をする必要があったのですか?
それを西川さんは笑って「いい説教だったね」とおっしゃった根拠を知りたい
西川
それは分かりません。全校バージョンだとだれのことを言っているのか分かりませんので。
坂内さん
4年前の話に戻っています。
その教師の説教が正しいと判断された根拠を聞かせてください
西川
その説教のことを覚えていないので、それは何故そのように語ったかは分かりません。一つ確認です。それは授業中の説教ですか、それとも最後のまとめの説教ですか?
坂内さん
まとめの説教です。
西川
課題が多すぎるというのは、全学年ですか?それとも一部の学年ですか?
坂内さん
一部の学年です。
坂内さん
もう一度確認しますがこれで何か有益なことが起こるのでしょうか?
それとも西川先生の理論を私にねじ伏せたいのでしょうか?
西川 純
なるほど。それならば分かりました。というか4年前ですので説教を覚えていません。しかし、評価する理由としていくつかの可能性があります。第一に、前回の説教との比較です。例えば、全校『学び合い』の場合、上級生が下級生を教えるという枠組みで考えがちな先生が多いです。そうなると上級生にだけ説教すると言うことをします。それが全学年に向かって説教することが出来るようになったら、その変化を褒めることはあると思っています。理解して欲しいのは、私は全校の先生方に手ほどきしているのです。当然、『学び合い』に大きな?を持っている先生にもです。もの凄く気を遣っているのです。だから、1問題点を指摘した場合は、5~10は褒めます。説教することを認めた理由としては、それは全力を尽くしていないからです。『学び合い』をし始めると予習する子が多くなります。そうなると、だいたい2時間分の課題を二十数分で解決することも可能となります。なぜなら、さあどうぞ、と言った瞬間に動き始めるからです。それぐらい全員達成にどん欲な子ども集団を育てるために説教したのだと思います。
ねじ伏せる、という言葉には価値観を感じますよ。そんな気持ちはありません。私は、上越で参観した先生「も」良い先生なんですよ。ということを坂内さんに分かって欲しいと願っているだけのことです。
坂内さん
我々が見た限り、子どもたちは全力でやっていました。それでも叱られなければならない理由は何ですか?
西川
いいえ、予習するほどは全力ではなかったですよね。
坂内さん
S小学校の先生を非難するつもりなんてサラサラありません。批判されるとすれば的確な看取りができないことで、アドバイスが適正でなかった西川先生にあると考えます。
西川
あ、なるほど。それならば、私にはその力はありません。了解です。
ただし、私のアドバイスが的確であるかどうかはわかりませんが、先に述べたように、様々な要因があってアドバイスしていると言うことはご理解下さいね。
坂内さん
アドバイスというのは様々な要因があって初めて成立するものです。
西川
この件に関して、坂内さんから聞きたかったことは全て分かりました。夜遅くまでつきあわせてすみません。お休みなさい。
坂内さん
この会話の流れもブログに掲載してよろしいでしょうか?
西川
どうぞ、どうぞ。と思いましたが、ごめんなさい。というのは学校でアドバイスする時、気を遣っているということはオープンに出来ません。ごめんなさい。そして、その部分が抜けると、この一連の流れが取り切れません。そして、「結局、西川先生の「謙虚に受け止めたい」という言葉は偽りなのですね。」とか「もう一度確認しますがこれで何か有益なことが起こるのでしょうか?それとも西川先生の理論を私にねじ伏せたいのでしょうか?」という部分を載せると、凄く心配する人が出そうなので。
坂内さん
では最初にメールをいただいた部分を掲載させてください。
西川
あの部分だけでは、意味不明なのではないですか?結局、メールの部分には坂内さんは何もお応えになっていませんから。
坂内さん
すみません。西川先生に聞かれるまま答えたのですがどうして何も答えていないと?
西川
あれ、電子メールの部分は、「すみませんが、意味が良く分かりません」とお応えになっただけですよね?メールという言葉の意味を取り違えたのかも
坂内さん
具体的には、
坂内さんの授業では子どもたちはみんなハッピーなのでしょうか?
坂内さんの授業公開した時、それに対して批判されたことはないのでしょうか?
坂内さんの授業を校長から止められたことはないのでしょうか?
坂内さんのブログ等で書かれていることをやれば、みんな上記のように素晴らしい『学び合い』は実現できるのでしょうか?
これらについて西川先生もいまだによくご理解されていないようなので改めて書きます!
西川
なんだか分からなくなってきました。では、「理解して欲しいのは、私は全校の先生方に手ほどきしているのです。当然、『学び合い』に大きな?を持っている先生にもです。もの凄く気を遣っているのです。だから、1問題点を指摘した場合は、5~10は褒めます。」の部分はカットして、そのまま載せるならば結構です。ていうことでよろしいでしょうか?
坂内さん
後半部分には何ひとつ有益なことがないので掲載しません
西川
いえ、載せるならば全体でお願いします。○○や○○(先に述べた坂内さんが問題あると書いた実践)は伏せ字で。そうしてください。
お休みなさい
以上がメールのやりとりの全文です。が、明確に申したのかかかわらずメールの一部のみを公開しました。このような信義違反は非常に残念です。少なくとも電子メール等でのやりとりは出来ません。http://bit.ly/zdOpUTようは、この記事の「西川先生より」ではなく「ある方より」と代えていれば、この内容だったら個人特定は避けられました。が、そうしなかったために大人のルールを逸脱したのです。
また、しばらくはコメントを非公開としたいと思います。なお、言うまでもなく、私が問題にしているのは個人特定されるメールを、明確に公開の仕方の条件を申したのにも関わらず、それを無視したという点です。坂内さんの実践のすばらしさや、その志の高さは高く評価する気持ちは揺らいでいません。そして、例えば私のゼミ生が学ぶ機会を与えていただけたらばありがたく思います。私と繋がらなくても、私と繋がっている人と繋がれば間接的には繋がっていますから。
以上です。