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2012-03-08

[]話すこと 22:14 話すこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 話すこと - 西川純のメモ 話すこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 3月31日には石巻で話します。4月1日には郡山で話します。前者では、教育とコミュニティの話のお題を頂きました。後者は、みんな違って、みんないい、というお題を頂きました。今回は私にとっては、一市民としての復興支援と考えています。心して話を練ろうと思っています。その子との案を今練っています。その時に話したいことを思いつくまま書きます。

 私は今から27年前に高校教師になりました。頭の中には海外の膨大な教材、そして教育心理学に基づく指導法等が一杯です。が、勤めたところは最底辺の高校の定時制です。しかし、それらが殆ど無意味であることは授業をやり始めて数日で分かりました。でも、どうしていいかは分かりません。教師の中で私の話を聞いているのは数人だけ、それ以外は全く聞いていません。あからさまにバカにする子どもが大多数です。その中で、殆ど聞いていない人に向かって語り、板書する日々です。給料を取るとはこんなに辛いことかと思いました。ほどなくして、「子どもはバカだ」という結論になりました。とにかく、時間中に教室にいて、終わったら帰る日々です。

 教室は大変でしたが、職員間は「超」良好です。職員室の横のお茶のみ場にはいつも誰かがいました。そして、私はそういう先輩が来る前に急須を洗い、お湯を沸かして待っていました。三々五々、集まってくる先輩は馬鹿話をしました、それをニコニコ横に座って聞いていました。先輩教師からは可愛がられました。代わりばんこに酒に誘われました。F先生は「F上等兵、西川二等兵と飲むためお先に失礼します」と教頭に言うと、教頭は敬礼して「ご苦労様です」と答えました。そんな職場です。頻繁に酒に誘われました。酒の時に話すことは馬鹿話ばかりです。私の愚痴を笑いながら聞いてくれます。が、具体的なアドバイスは無かったと思います。

 覚えているアドバイスは数学のS先生から「純ちゃん、僕の授業を見に来たら」というものです。ところが見に行けませんでした。ちゃんと見に行くことはS先生に「私は駄目な教師です」と告白するようなものです。自分に対する評価が目略茶低くなっていた私はそれが出来ませんでした。結果としてやったのは、廊下を歩くです。つまり、S先生の授業の時に廊下を通り過ぎるのです。横目で教室を見るのです。馬鹿馬鹿しいですよね。でも、当時の私はそれしかできませんでした。何度か往復した結果分かったのは、私の授業では野獣としか思えなかった子どもがちゃんと授業を聞いているのです。S先生はカリスマ教師ではなく、また、押し出しの強い先生でもありません。今考えると、ようは子どものことを愛していた先生だったと思います。が、当時の私にはそれが分かりませんでした。しかし、ちゃんとやれば子どもは聞くと言うことは十分に分かりました。そして、様々なテクニックを鍛えました。そして、最底辺の状態から脱しました。(今は、テクニックではなく、S先生の心が本体と気づくべきだと分かりますが・・・・)

 私は多くの先輩教師から救われました。でも、具体的な教え方を教えてもらったことはありません。一緒に馬鹿話で笑えたこと、そして、ごく希に愚痴を聞いてくれたこと、それだけです。でも、それが大事なのだと思います。一人一人の教師の抱える問題は違います。そして、それを乗り越えるのは当人しかありません。周りの教師は、その当人が投げ出さないように話すことしかないと思います。それも膨大な会話の積み上げしかないと思うのです。

 が、今は教員集団の年齢バランスの崩壊によって、それが成り立ちづらくなっています。全ての教師が幸せになるためには、その人の職場が私の経験した職場のようにならねばならないと思うのです。そのために、きっかけが必要です。私はそれを実現したいと思って全校『学び合い』を勧めています。25年以上たった今も、話した内容はハッキリしませんが、お茶飲み場と酒場とご自宅での先輩の優しい目は忘れません。

追伸 我がゼミでは、私が得た関係を得るために何が必要なのかを叩き込みます。そして、それが守れなかった時には、しっかり叱ります。ようは、若い人は「はい喜んで」の精神。挨拶をしっかりやる。日々の細かい約束を誠実にこなすなどの大人のルールを守るということです。難しいことではありません。でも、やり続けるのはかなりしんどいことです。

[]全校体制 16:49 全校体制 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 全校体制 - 西川純のメモ 全校体制 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、参観から戻りました。その学校とは5年間のつきあいです。先生方ともため口で馬鹿話が出来ます。全校『学び合い』と単学級『学び合い』を見ました。心地よかった。

 この学校の忘年会には毎年ゼミ生が呼ばれます(PTAの飲み会もですが)。体育系大学出身のゼミ生が「生涯で最高に面白い飲み会だ」と言っていました。学校には様々な問題があると思います。でも、良き職員集団であれば乗り越えられない課題は無いと思います。もちろん、潰れる教師は生まれません。

追伸 もちろんNRTは全校的に高成績でした。進学成績も良かった。

[]確認テスト 08:33 確認テスト - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 確認テスト - 西川純のメモ 確認テスト - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、『学び合い』を実践している先生に、その悩みを聞きました。その結果、「最後に確認しないでいいのか?」というのが多かったです。『学び合い』の文化が根付いていないときには、「半分かり」や「分かったふり」と思われる子どもが目につきます。最後に確認したいと思うのは当然です。

 私は確認テストは基本的には避けるべきだと思っています。『学び合い』を実践している方だったらお分かりだと思いますが、子ども達の盛り上がりやパフォーマンスは二次曲線的に上昇します。従って、子ども達の学ぶ時間を7分短くして、確認テストをすると達成度ががくんと落ちます。

 が、初期の段階では必要な場合があります。子ども達が全員達成(もしくは多くの子どもが達成した)と思っているときに確認テストをするのです。そうすれば、「半分かり」や「分かったふり」の子は当然、解けません。その結果を子ども達に明らかにして、「半分かり」や「分かったふり」を許していると言うことは冷たいことだし、正すべき事だと言うことを語るのです。おそらく、「半分かり」や「分かったふり」の子どもにそれを言っても影響は少ないと思われます。理由は「半分かり」や「分かったふり」は、そもそも「分かった」ということが分からないのですから。でも、確認テストで解ける子どもは、それを知っています。そして、そのような子は『学び合い』によってかなりの割合になっているはずです。その子が、「半分かり」や「分かったふり」の子どもを教えるとき、本当に分かったか否かを厳密にチェックするようになります。

 そのような集団になれば、確認テストは必要ありません。が、『学び合い』的な確認テストの使い方があります。つまり、子どもが主体的に利用するのです。例えば、人の説明を聞いてその日の課題を解けた子どもがいたとします。その子は、教室の前にあるネットに繋がったコンピュータに行って、そのコンピュータは確認テストに関するプログラムに繋がっているのです。ボタンを押します。そうすると乱数で生成された独自の確認テストが印刷されているのです。これは単純な計算問題だったら比較的容易く出来ると思います。また、漢字の書き取り等も、その順番を乱数で変えることで実現できるでしょう。

その確認テストには問題番号が書かれています。その確認テストを教えてもらって解けた子どもは解いてみるのです。そして、解き終わったらコンピュータに行き、問題番号を打ち込みます。そうすると、その問題の答えが画面に出るのです。それで解けたらOKです。もし、解けないならば他の人に聞くのです。その問題の解けた子は、自分の教えた子が本当に分かったかをモニターし、「ずる」していないかチェックするのです。以上のような確認テストだったら、子ども達の『学び合い』時間を犯さずに利用することが出来ます。 なお、この確認テストのプログラムは自宅でも使えるならば、予習・復習にも使えるでしょうね。

 発想の転換が必要なのです。個をみとり、個を理解し、個に対応するのは本人であり、周りの子どもです。確認について教師のやるべきものは、日々の集団のメンテナンスだけです。確認するのは最終的なアウトプットだけです。