■ [大事なこと]一人も見捨てず
一人も見捨てず、と言うと「見捨てない」というのはどういうことか?と聞かれます。でも、それは様々です。他者が望むこと、それを折り合いを付けて実現しようとするということです。他者が望むことは様々です。
それと一人も見捨てず、というと目の前にいる個を見捨てないことと誤解するか違います。個に拘れば全体が見えなくなります。キリスト教の聖書に、百匹の羊を持つ羊飼いの例があります。神は一匹の羊が見つからなくなると九十九匹の羊を野原に残して探すそうです。しかし、これは神だから出来ることです。我々がそうすれば、野原に残した九十九匹がオオカミに食べられてしまいます。では、一人も見捨てずとは何か、それは個に拘らず、個に拘る集団づくりに拘るということです。
もし、一匹の羊が凶暴になり他の羊を襲うようになれば、九十九匹の羊ではその一匹はどうしようもありません。しかし、千匹の羊が集団となり、攻撃的な羊を受け入れる体制が出来ればその一匹も受け入れることが出来ます。
■ [お誘い]みんなのがっこう
長年つきあっている教え子からでさえ、私は宇宙語で話していると言われます。私にはリアルに見えて、そこに至る手順がハッキリしているのですが、多くの人には荒唐無稽に見えてしまいます。でも宇宙語を話せる人もいます。大阪の杉山さんもその一人です。杉山さんは、地域に住む様々な方々が一堂に会し、作文を書いて交流するイベントやっています。小中高生はもちろん、大学生、作文を書かなくなって久しい社会人の方、もう一度学びに向かいたい高齢者の方など全世代が集まる場所です。先日、千葉県の浦安市で行い、高校2年生から60代の方に20名ほどの参加者でプレイベントで行いました。今後、発展させる予定です。
私は学校を核としてユートピアを形成しようとしています。しかし、杉山さんは学校以外からのアプローチです。同じ方向性があるなら方法は多様な方が良いに決まっています。今後に大注目です。
http://www.youtube.com/watch?v=kg8l_8U9Uxk
片桐史裕、西川純(2005.10):高校生における作文共同編集と伝達の研究、臨床教科教育学会誌、臨床教科教育学会、4(1)、74-78
片桐史裕、西川純(2005.12):高校生の作文共同編集における相互交流と表現の確定について、教育実践学研究、日本教育実践学会、7(1)、9-17